60式自走無反動砲
ろくまるしきじそうむはんどうほう
戦後初の日本AFV
開発は1954年、防衛庁技術研究所が新型無反動砲(60式106mm無反動砲)を開発した事にはじまる。
翌1955年、調達予算執行の際に『クレーム』がつき、
こうして「新型無反動砲搭載の自走砲」の開発予算がつく事となった。
開発作業は小松製作所と三菱重工業の2社に競争・試作が委ねられている。
60式106mm無反動砲
元はアメリカ製の「M40」106mm無反動砲である。
これに日本独自の改修を加えてジープ、のちに73式小型トラックにも搭載した。
なお「106㎜」とは言われるものの、実際には105mm口径である。
これは前身である「M27」も105㎜なので、間違えないように配慮しているのだ。
砲弾は成形炸薬弾(HEAT弾)や粘着榴弾(HESH弾)、フレシェット弾に通常の榴弾が用意されている。
ふたつの試作車両
前述のとおり試作は二社に委ねられ、
ほどなく「SS-1」(小松製作所)と「SS-2」(三菱重工製)が完成した。
2台は富士演習場で試験が行われ、終了後に評価がされている。
評価の結果、三菱重工が61式戦車の開発で忙しくなった事と、
何よりもSS-1の評判が良かった事もあって、開発は小松製作所に任されることになった。
この後も開発作業は続き、SS-2改良型の「SS-3」や、
無反動砲を増設(2門⇒4門)した「SS-1(改)」が生み出された。
この集大成として「SS-4」が完成し、こうして『60式自走無反動砲』として制式化される事になったのである。
『マメタン』のおわりに
2008年、最後の60式自走無反動砲が退役し、こうして日本の対戦車自走砲の歴史は幕を閉じた。なにぶん古い設計ゆえに扱いにくい箇所も多くあったようで、運用末期には若手をさしおいて古参の下士官が扱うことも多かったという。
一応、無反動砲をミサイルに置き換えた戦車駆逐車も試作されたものの、肝心のミサイルが有線式のリモコン誘導のだったので弾速が遅く、待ち伏せ攻撃には不向きと判定されている。(秒速85m)
結果として「これでは命中する前に反撃される(そして撃破される)」と判断され、これは試作のみに終わった。
結局『このテの車両』は軽戦車と同じく中途半端として廃れ、現在の自衛隊では普通科に対戦車ミサイルを携帯させることで対応している。
現在のミサイルは人間ではなく、電子機器によって制御されているので弾速が早い。加えて兵士個人が持ち歩ける方が目立たず、それこそ奇襲攻撃を目指すのなら有利なのである。
自走無反動砲の有効性
装甲を持たず、「1発(砲は2連装なので2発だが)撃ったらすぐ退避する」と想定されていた。
当然の話だが、戦車との正面切った砲撃戦には脆弱すぎるのである。
だから、『自走無反動砲なんて弱い車両、本当に活躍できるのだろうか』
そういった意見はまったくごもっともである。
もちろん対戦車戦闘だと不安があるのだが、歩兵支援なら活躍できたかもしれない。
(運用も普通科、つまり歩兵である)
そのヒントとなるのが、ベトナム戦争における「フエ市街戦(1968)」である。
入り組み、狭い街路が多かったフエ市街では、小型のオントス自走砲が縦横に駆け回って海兵隊の支援に大活躍したのだ。
例えば、歩兵が敵の抵抗拠点に遭遇し、激しい砲火で身動きがとれなくなる。
そこでオントスが狭い街路を抜けて登場し、拠点に1発撃ちこんで黙らせる。
要は歩兵が仲間の支援に持ち出す、『歩兵砲』として活躍したのである。
ただし、あくまでも自走砲なので防御力は低く、例えばRPG-7のようなロケットランチャーを受けると大破・擱座という事態はまぬがれない。
重宝された理由も「どんなに道路が狭くても通り抜けて支援してくれる」という一点なので、
『だったら歩兵にミサイルやグレネードランチャーを持たせればてっとり早い』
という解決方法が浮かんでくるのだ。
実際、オントス自走砲にしても300両ほどの生産で終わっており、直接の後継は存在しない。
歩兵のミサイルで対応できないのなら、戦車が出ていけば確実に解決できるのである。
現在は各種ミサイルやグレネードランチャーなども普及しており、あえて自走無反動砲が新規開発される事はない。ただし、搭載されていたM40無反動砲は世界6か国で製造されていたので生産数が多く、いまだ現役を務めている国もある。
もちろんRPG-7よりも砲弾が安く、どんな目標でも砲弾変更で対応できるのも利点である。