日本では奈良時代から、天皇のお誕生日を「天長節」といい、中断の後に明治時代に復活し、昭和23年まで続いた。
それに伴って、皇后誕生日を「地久節」と称することも、日本では明治時代から始まった。
この言葉は、東洋の古典『老子』の「天は長く地は久し」(天地は永遠にほろびることなく続く)から採ったものである。
その最初は、老子を尊崇する唐の玄宗皇帝の時とされ、玄宗の天宝7年(西暦748年)に、それまで「春秋節」といっていた天子の誕生日の名を改めた。
明治天皇の誕生日がのちに明治節(文化の日)とされ、昭和天皇の誕生日は「みどりの日」とされたが、昭和の日に改まった。近代天皇でお二方の誕生日が後世に記念日となったが、大正天皇は御在位中に還暦をお迎えにならなかったため、誕生日を次代の記念日とする動きは起こらなかった。
戦後、アメリカにより日本の祝祭日が毀損され、国民の希望する祝日を改めて調査したが、西暦に征服されず元号(天皇の元年正月元日)によって独立を保つ日本国民は「新年」(正月)を第一に希望し、また君主国の臣民として「天皇陛下のお生まれになった日」(天長節)を第二に希望したため、昭和24年からは天皇誕生日として奉祝することとなった。