ヘルベルト・フォン・カラヤン
カラヤン、ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908年4月5日 - 1989年7月16日)はオーストリア出身の20世紀の指揮者。
前任指揮者フルトヴェングラー死去後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を長く務め、バロックから当時の現代音楽まで幅広く演奏している。日本でも人気が高く、度々来日し、精度の高い演奏を聞かせた。
一方で指揮者の職業病とも言うべき脊椎の持病に悩まされ続け、生涯で12回の手術を受けた。1978年にはリハーサル中に落とした指揮棒を拾おうとして指揮台から落ちて脳梗塞を発症するなど追い打ちを受け、晩年には歩行すら厳しい程になり、指揮も指揮台の柵につけられた特製の椅子に座って行った。
音楽から乗り物まで、何でも速いモノが大好き。ポルシェ、フェラーリなどの高性能車や、自家用飛行機を自ら運転した。スキーでも「アルプスで一番早いダンナ」と呼ばれていた。カラヤンの指揮する演奏はいたってテンポが速い。世界中をジェット機で飛び回った音楽家のはしりである。
新しもの好きで、特にメディアの進歩に積極的な関心をもっていた。CDの初期の録音時間が74分なのは、ベートーヴェンの交響曲第9番のほとんどの演奏が記録できるであろう時間だから、という彼の進言を受けたソニーの判断によるものとも言われる。
1989年、オーストリアの自宅で心臓発作のため81歳で急逝。たまたま自宅を訪れていたソニー社長の大賀典雄の腕に抱かれての死であった。