概要
1873年に杉浦六三郎氏によって立ち上げられた小西屋六商店が始まり。1903年に国産初の印画紙を販売。1937年に株式会社小西六が設立された。1940年には国産初のカラーフィルムであるさくら天然色フヰルムを販売した。1943年に小西六写真工業株式会社に社名変更。
戦後の国内シェアは暫く富士フイルムのフジカラーを圧倒していたが、1970年代に入ってからは逆転された。しかし1976年に従来の20枚撮りに+4枚で価格を据え置いた24枚撮りフィルムを発売。「どっちが得か良~く考えてみよう」と萩本欽一を起用したTVCMが大きな話題を呼び、競合各社が挙って追従した。
1970年には今も活動している陸上競技部を発足。1983年にはエニックスとの合弁により小西六エニックスを設立。1987年に日本国外で使用していた「Konica」ブランド名で統一し、社名もコニカ株式会社に変更した。主力商品のフィルムもサクラカラーからコニカカラーに商標を変更。小西六エニックスはコニカエニックスに変更され、1989年に営団者募集センターに吸収合併された。
2003年にミノルタを吸収合併してコニカミノルタに社名変更、今に至る。
カメラ
1903年に国産初のカメラである「チェリー手提暗函」を販売した。
第二次世界大戦後はコニカⅠから始まり、日本にコンパクトカメラが普及するきっかけを作る。ただこれは「本職」がフィルムメーカーであり、自社のフィルムを普及させるためには誰でも扱えるカメラも普及させる必要性があったためである。
その中でも'70年代に発売されたコニカC35シリーズは「じゃーにーコニカ」をはじめ、フラッシュ内蔵モデルが「ピッカリコニカ」、オートフォーカス搭載機が「ジャスピンコニカ」の愛称で親しまれ、井上順を起用したTVCMでも人気を博した。
写真愛好家の中では「ヘキサー」、「ヘキサノン」レンズのブランド名が馴染まれている。
変わったものとしては、汚れても水洗いが出来る、防塵防水コンパクトカメラ「現場監督シリーズ」が存在した。
コニカミノルタになった後もカメラ事業を続けていたが、2006年に撤退した。