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Benjamin Siegel

1906年2月28日 - 1947年6月20日


経歴編集

ニューヨーク生まれ。

両親はウクライナ出身のユダヤ系移民で、少年時代からストリートギャングとして裏社会と関わりを持つように。11歳の時にラッキー・ルチアーノの一味に入るが、ランスキー共々ユダヤ系でシチリアン・マフィアの世界では表舞台に立つ事は出来なかったため、鉄砲玉ポジションとして暗躍する。後に社会問題化する暗殺部隊「マーダー・インク」の礎を築いたのは彼とされている。


1920年代の禁酒法下では、酒の密売トラックの護衛を請け負ったり、ライバルを襲っては酒を横取りして売り捌いたり、また車を盗んでは闇ルートで売りさばいたり他のギャングに貸しつけるなどして儲けた。


ボスのルチアーノが強制売春の容疑で検挙された1936年。当時のハリウッドはユダヤ系のミッキー・コーエンが仕切っており、同じユダヤ系のシーゲルが橋渡し役として組織の特命を受けてハリウッドへ移住した。翌1937年には西海岸での組織拡大も兼ねてカリフォルニア州に拠点を移した。

ハリウッドの社交界に出入りして人脈を築く傍ら、ハリウッド映画のエキストラ組合に強引に入り込んでは示談金を取って稼いでいた。


1939年11月、「マーダー・インク」を密告しようとした元同僚のハリー・グリーンバーグを殺害。この容疑で1940年と1941年の2度に渡り逮捕されたが、いずれも嫌疑不十分で無罪・釈放されている。


第2次世界大戦終了後、ラスベガスのダウンタウンから数キロ離れた何もない土地で、豪華なカジノ付きホテル「フラミンゴ・ホテル」を建設し営業開始にこじつけた。しかし、建設に際しマフィアの資金を何の躊躇いもなくつぎ込んだシーゲルは組織内から危険視される存在になり、1947年に暗殺。その後の「フラミンゴ・ホテル」とラスベガスの発展をその目で見ることはなかった。


余談編集

  • 渾名のバグジーとは「頭が狂った」という意味。彼と親しい人物だけが呼べたのだが、本人はこの渾名で呼ばれるのを嫌っていた。
  • 映画『ゴッドファーザー』の終盤で暗殺される「ラスベガスの大物」モー・グリーンはシーゲルがモデル。

関連タグ編集

ギャング マフィア 犯罪者

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