概要
略称は「YH」。日本では「ユース」とも。
ユースホステル運動の国際組織として、国際ユースホステル連盟(International Youth Hostel Federation, IYHF)があり、イギリスのイングランドのハートフォードシャーに事務局が置かれ、日本では日本ユースホステル協会(JYH)がIYHFに加盟しており、日本では各地区にのユースホステル協会が設けられている。
2017年時点で、世界の60ヶ国に約3500施設があり、うち約3分の2がヨーロッパにある。日本国内には約200カ所の施設がある。
運営の主体により直営・公営・民営があり、原則として申し込みを行い会員証が発行、会員になると、日本の施設では宿泊料金は2007年で一般的に1泊2食付で約4700円〜約5040円(会員料金・通常期料金)で止まれる。(公営の場合は会員でなくても利用できる場合がある。
ヨーロッパでも2019年現在、日本円に換算すると3,000円から4,500円程度)
日本では最近、料金がリーズナブルでしかも(夕)朝食も無料提供という優待サービスのあるビジネスホテルの台頭、少子化、若い旅行者が「ユースホステル独特の団体生活的なしきたり」や「文化・設備、面識のない他人との相部屋」が嫌厭される傾向などから利用者も減っている。
施設側も施設の老朽化や上記のホテルの登場、後継者難から閉所する事例もある。(とはいえ新しく開所する施設もある)
来歴
ユースホステルの始まりは、ドイツの小学校教師リヒャルト・シルマン(Richard Schirrmann、1874年 - 1961年)が、ワンデルンシューレ(移動教室)を思いつき、児童を連れて、さかんに徒歩旅行をしていた。しかし、宿泊場所の確保に苦労し、1909年に豪雨のために緊急避難的に小学校に避難したことがきっかけ。
1910年にシルマンは北部ライン全域に小学生用ホステルを建設する案を、北部ライン山岳協会の年次総会に提出、否決。翌年も提出し否決されたがザウワーラント山岳協会のウィルヘルム・ミュンカー(1874年 - 1970年)が感動し支援を決める。
1912年、ドイツ・ドルトムント近くのアルテナ城に宿泊できる施設、最初のユースホステルを開設。(現存)
しかし第一次世界大戦勃発によって2人とも徴兵され、戦後のハイパーインフレによりシルマンは財産を失い、その後国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)政権によりドイツユースホステル協会を追放されシルマンとミュンカーは引退を余儀なくされるが、敗戦後再起し、世界中にユースホステルのネットワークを作り上げていった。
日本では1951年10月に、日本ユースホステル協会(JYH)が発足した。1952年に13施設と契約。1955年には、直営第1号として、北海道千歳市の支笏湖畔にある支笏湖ユースホステルをオープンさせた。(2021年閉館)
ユースホステル部
千葉英和高校には日本唯一ユースホステル部が存在する。