大阪に生まれ、祖父母の新聞販売店を任された。その後、南大阪新聞や日本工業新聞を創刊。日本工業新聞はのちに戦時統合や東西統合を経て産経新聞となった。また関西テレビやラジオ大阪などを開局した一方で、東京タワーの運営会社の日本電波塔は現在も前田家から社長が出るなど日本の放送に深くかかわっている。産経新聞の経営から身を引いた後でも、深い関係は保たれ、FM大阪の設立に関わったり、鹿野山(マザー牧場がある千葉県の山)に電波塔を建てFM局を開局しようとした。
ちなみに、マザー牧場はもともと東京タワーの建設候補地として考えられたところであり、経営も日本電波塔の子会社によるものである。