概要
独学で囲碁を学び、「賭碁師」として日本各国を駆け巡り、「阿波の米蔵」の異名を持つ。
後にかの有名な本因坊家門下となり、4勝6敗1分けの戦績を残して三段を授与する。
自身の棋力を、「二子を置く時は天下に敵なし」と自負していた。
なお、当時の棋譜も後世にまで残されている。
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