正式な表記は「國母和宏」である。
概要
4歳の時にスノーボードを始め、小学生でプロ契約(当時の史上最年少となる11歳での契約)を果たす。
登別大谷高校(現在は廃校)、東海大学(入学時は北海道東海大学)卒業。
2006年のトリノオリンピックではハーフパイプ代表として出場したが予選敗退。
2010年のバンクーバーオリンピックに出場した際、記者会見での「腰パン」などの服装で世間から非難を受け、その後のインタビューの受け答えの「反省してまーす」→「チッ、うっせーな…」などの発言からさらに出場辞退の危機にもさらされたが、橋本聖子団長が全日本スキー連盟の萩原文和経由で彼を叱責した上で出場させ、何とか8位入賞を果たしている。
2014年のソチオリンピックでは自らは出場せず、全日本チームの技術アドバイザーとして参加。ハーフパイプは非常に技術の進化が早い競技のため、現役選手が指導する事が望ましいとされたためである。結果、見事に平野歩夢、平岡卓の両選手をメダルへと導くこととなり、コーチとしての彼を再評価する向きが広まりつつあった。
2019年11月6日、大麻を密輸をしたとして、大麻取締法違反で逮捕された。単なる偶然なのか、田代まさしも覚醒剤所持で同じ日に5度目の逮捕となり話題となった。
性格・逸話など
スイスの氷河が地球温暖化の影響で年々減少していることに危機感を抱いており、バンクーバー五輪の際には「メダルを取ったら氷河保全の活動に寄付をしたい」と語っていた。
2011年の東日本大震災の翌日にUS OPENがあり、優勝後のインタビューで家族や友人を心配するとともに「この勝利が日本に少しでも喜びを届けることができればいいと思います」というコメントをしている。のちにボランティア活動に参加した。
友人のスノーボーダー、荒井義正が難病である慢性活動性EBウイルス感染症を患った際には、選手仲間と募金活動を立ち上げ奔走した。また、私生活でのサポートも含めた熱心な指導もあり、事実上の「弟子」となる平野や多くの後輩らから慕われている。
一方で、同じくトリノ、バンクーバー五輪に出場したチームメイトの成田童夢とは非常に折り合いが悪かった(成田曰く「水と油だった」)。大会中も成田を揶揄するような発言をしていたほか、選手村で仲間外れにされているような状況など、たびたび不仲が報道されていた。
後に成田は、上述の逮捕に伴う一部メディアの取材で、トリノ五輪時の選手村で泥酔した國母(当時未成年)に、酒瓶で殴られ負傷したこと、さらにそのトラブルがもみ消されていたことを公表した。また、成田はバンクーバーオリンピックでの騒動に際し批判するコメントを積極的に行っていたほか、逮捕に関しても非常に強い語調で反応している。