「皇中」とも呼ばれている。
概要
1947/4/1に大津市立長等志賀中学校として創立、1949/4/1には大津市立皇子山中学校と改称した。
1950年には旧志賀高校の校舎を買収して皇中の校舎として転用しており、
1954/5/26に打出中学校の校舎がほぼ全焼する火災が発生すると、皇中は打出中学校2年生全員を一時的に受け入れ、4教室の増築と体育館の利用によってこの事態に対処。
1955/1月に打出中学校の生徒たちは無事、滋賀大学の校舎に移った。
1956/7/15に滋賀県内学校で最も早くに、プールを新設した(プールの大きさは25m×6コース)。
マスコットキャラクターは王冠を着た裸のネズミ王様。
愛校心を育てることをモットーとしており、校章は天智帝の大津京に建立されていた南志賀廃寺の瓦「短弁六華葉蓮華文」をデザインして、「中」の文字をあしらったもの。これは古い歴史の中に新しい日本人の理想を求めていこうとする「温故知新」の精神を表しているようだ。
年間4回程はコミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)を開催しており、
地教行法第47条の5の「地域とともにある学校づくり」を進め、学校運営の意見を保護者や地域住民から幅広く取り入れている。
2011年に壮絶なイジメが行われたらしく(影響でいじめ防止対策推進法が可決された程)、
その為本校の口コミでの評判は芳しくはない。
ただしGoogleのクチコミでは在校生によると、この件によって一年に一度「命を想う集い」というイベントを開催しているらしい。
本校で二度とこのようなことが成されないよう願うばかりである。