概要
「大潮」とは、大日本帝国海軍の朝潮型駆逐艦2番艦である。
太平洋戦争中は主に同型艦の朝潮(駆逐艦)、満潮(駆逐艦)、荒潮(朝潮型駆逐艦)と共に第八駆逐隊を編成していた。(それまでは同編成で第二十五駆逐隊であった)
史実
1936年8月5日舞鶴海軍工廠にて起工。1937年3月15日に進水。
1937年10月31日竣工。これにより、同型艦の1番艦「朝潮」、2番艦「大潮」、3番艦「満潮」の3隻で第二十五駆逐隊を編成。(当時はまだ4番艦「荒潮」は未就役)
1937年、朝潮のタービンブレードの破損が発見され、修理のため姉妹艦の大潮も佐世保海軍工廠で蒸気タービン機関の改造工事を実施した。(「臨機調事件」と呼ばれ、一時は旧日本海軍全艦艇の問題ではと思われたが、朝潮型のタービン特有の問題であった)
1938年、同型艦の4番艦「荒潮」が第二十五駆逐隊に編入され、同駆逐隊は定数の4隻が揃うこととなった。
1939年、第二十五駆逐隊は横須賀鎮守府に転籍し、第八駆逐隊へと改名された。以降「大潮」は除籍されるまでの間第八駆逐隊所属であった。なお、「大潮」は第八駆逐隊司令駆逐艦として行動する事が多かった。
1943年2月、ガダルカナル島撤収作戦『ケ号作戦』では第一次~第三次すべてに参加。一部駆逐艦に損害が出るものの大潮は無事であった。
同年2月20日、輸送船団護衛中にマヌス島沖で潜水艦アルバコアから雷撃を受ける。右舷前部機械室に魚雷が命中し航行不能となったため、「荒潮」に曳航されてトラック泊地への避退を開始。
同年2月21日朝、曳航中に船体が中央部で断裂し「大潮」は沈没。大潮乗組員は「荒潮」に収容されラバウルに帰投した。第八駆逐隊最初の喪失艦であり、同隊は3隻編制(朝潮、荒潮、満潮)となる。
1943年2月21日沈没。
1943年4月1日除籍。
なお、沈没から除籍までの間に「朝潮」、「荒潮」も沈没し「満潮」しか残っていなかったため、同日付で第八駆逐隊は解体。艦型名も満潮型駆逐艦に改名された。
余談
戦後、海上自衛隊では潜水艦「おおしお」(S115)が運用された。同型艦は無かったが、次級として準同型艦のあさしお型潜水艦(初代)(あさしお、はるしお、みちしお、あらしお)が建造された。1964年4月30日進水。1981年8月10日除籍。