所在地 | 千葉県白井市根1388 大日神社境内内 |
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位置 | 北緯35度79分00秒、東経140度04分30秒 |
主祭神 | 菅原道真公、八幡(名馬生食) |
創建 | 不明 |
本殿の様式 | 一間社流造 |
旧社格 | 無格社 |
「天神八幡神社」とは、千葉県白井市の大日神社(旧村社)の境内の中にある境内社である。
祭神の一柱である名馬生食(いけずき)の伝承については、大正2年発行の「千葉縣印旛郡誌」並びに同4年発行の「白井村誌」の他、江戸時代の牧士(もくし…江戸幕府の馬の放牧場「小金牧」の管理者)の記録に一部が伝えられている。
◇下記は、現地にある説明看板の内容(誤字、体裁の乱れはそのまま)
源平時代の〝元祖勝ち馬〟 名馬生食(いけずき)を祭る神社
天 神 八 幡 神 社
祭神‥菅原道真公 八幡(名馬生食)
名 馬 生 食
生食を祀る八幡神社は由緒不詳で延宝5年(1677年)9月15日に七次村字八幡(現根字八幡)へ移され、菅原道真を祀る天神社と合祀されて天神八幡神社となりました。さらに大正2年(1913年)10月22日には大日神社に合祀され、現在地に移されています。
生食は東葛飾郡深井村(現柏市正連寺付近)にある小袋付近で産まれたと伝えられています。出生地の深井村から房州峰岡(現鴨川市~南房総市付近)まで駆けまわり、途中七次新田字野中清水(現冨士の八幡神社付近)にも立ち寄りました。姿を見た里人は八幡様の使いと信じ、馬の名を「八幡」と呼び、八幡が水を飲んだ溜池を「八幡溜」(JRA競馬学校近く)と呼びました。
その後八幡は地元の豪族を通して源頼朝へ送られ名馬生食となりました。生食の名は人や生き物に食いつくほど猛々しさに由来いします。後に生食は佐々木高綱に与えられて寿永3年(1184)1月宇治川の合戦にて梶原景季が乗る摺墨(するすみ)と先陣を競い、生食は雪解けで水かさの増した宇治川を摺墨より先に渡り見事先陣の名誉を勝ち取り日本一の名馬と謳われました。晩年、生食は出生地付近の野に放たれ、やがて東葛飾郡国分台(現市川市北国分付近)で死ぬと、里人が埋葬し、その地蔵を建てそのお墓を八幡墳と名付けたそうです。そのお墓は享保年間1716~1735に開かれた高塚新田の八幡神社(現松戸市高塚新田)にあるといわれていますが、七次新田字清水であるとも伝えられています。
天神八幡神社の祭神生食は源平合戦の頃に活躍した名馬なのです。
参考文献「千葉県印旛郡誌」