概要
平高望の五男、母は藤原範世の娘、別名は村岡五郎。
経歴
昌泰元年(898年)に高望は上総国へ赴任するが良文は京に留まった。後に東国に赴き相模国鎌倉郡村岡あるいは武蔵国大里郡村岡から村岡五郎と名乗った。天慶2年(939年)に鎮守府将軍となる。平将門の乱での動向は不明だが将門とは親しい関係だったという。
人物
今昔物語に源宛と争った話がある。
子孫
良文の子は東国に留まり忠頼の子忠常は房総半島を拠点とし千葉氏、上総氏の祖となる。忠常の弟将恒は秩父氏の祖となる。良文の子忠光の子孫は三浦氏、鎌倉氏の祖となり良文の子孫は坂東平氏の祖となった。