概要
寛延2年(1749年)、遠江相良藩藩主・田沼意次の嫡男として誕生。
明和4年(1767年)、19歳にして従五位下・大和守に叙任、以後、順調に昇進し、天明4年(1783年)、相良藩世子の身分のまま若年寄に就任、幕政を主導する父・意次を補佐する。
が、翌天明5年(1784年)、江戸城内において旗本・佐野政言に斬りつけられ、治療が遅れたこともあって事件の8日後に死亡、享年36歳。
田沼意次の治政は庶民の評判が悪く、斬りつけた佐野は「佐野世直し大明神」の評判をとることとなった。
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たぬまおきとも
寛延2年(1749年)、遠江相良藩藩主・田沼意次の嫡男として誕生。
明和4年(1767年)、19歳にして従五位下・大和守に叙任、以後、順調に昇進し、天明4年(1783年)、相良藩世子の身分のまま若年寄に就任、幕政を主導する父・意次を補佐する。
が、翌天明5年(1784年)、江戸城内において旗本・佐野政言に斬りつけられ、治療が遅れたこともあって事件の8日後に死亡、享年36歳。
田沼意次の治政は庶民の評判が悪く、斬りつけた佐野は「佐野世直し大明神」の評判をとることとなった。
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