概要
経歴
斉衡2年(855年)に従五位下、右少弁となる、斉衡4年(857年)に従五位上、右中弁、式部少輔となった、翌年の天安2年(858年)に讃岐守となり貞観4年(862年)に留任した、貞観7年(865年)に肥後守となるが翌年の貞観8年(866年)の応天門の変で異母弟豊城が伴善男と共に処罰され連坐として土佐国に流された。
人物
小野篁から書を学んだという、讃岐守の時に善政を行ったため農民から信頼され任期満了の時に農民達の懇願によって延長されたという、また島田忠臣や菅原道真とは親交関係であった、囲碁を好み、医学に通じていた。