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1983年5月12日生まれ、大阪出身。


1997年中学生の時にエディタウンゼントジムに入門。


2003年グリーンツダジムへ移籍。


2005年4月WBC世界ミニマム級王者イサック・ブストスに判定勝ち、初の世界タイトル奪取。


8月イーグル京和に判定負け、王座陥落。


2006年11月WBA世界ミニマム級暫定王者決定戦でカルロス・メロに判定勝ち、2度目の世界タイトル奪取。


2007年4月正規王者の新井田豊にタイトル統一戦で判定負け、王座陥落。

10月真正ジムへ移籍。


2009年7月ローマン・ゴンサレスに判定負け。同年に日本ボクシングコミッション(JBC)の傘下選手としてのライセンスを失い、トレーニングのためにフィリピンと日本を行き来


2011年1月IBF世界ミニマム級王者ヌコシナチ・ジョイに判定負け。


2012年3月ヌコシナチ・ジョイとの再戦で判定負け


2013年3月IBF世界ミニマム級王者マリオ・ロドリゲスに判定勝ち、3度目の世界タイトル奪取、日本人史上初の世界3団体王者奪取となった、IBF王者奪取も日本人として2人目。(2013年7月13日にJBCからライセンスの再交付を受けJBC復帰と共に日本人初のJBC公認のIBF王者となった。)


2014年8月3度目の防衛戦でWBO世界ミニマム級王者フランシスコ・ロドリゲスジュニアとの統一戦に判定負け、王座陥落。


2014年12月IBFとWBOの王座決定戦で大平剛にTKO勝ち、日本人初の世界4団体王者奪取となった。


2015年12月3度目の防衛戦でホセ・アルグメドに8回負傷判定負け、王座陥落。


2017年4月3日、同日付けでJBCに引退を申し入れ受諾された。引退後は2020年に行われる東京オリンピック出場を目指すが、明確な理由なしに登録を拒否し続ける日本ボクシング連盟を相手どり、2018年に日本スポーツ仲裁機構へ仲裁を申し立てた。結果、アマのルールに関するテストを受け登録の申請資格を得てアマ復帰。

2019年8月31日、東海ブロック予選のフライ級1回戦で日本大学の宇津輝選手に判定負けし、東京五輪出場の可能性が消滅。

2020年3月、代理人を通してプロ復帰を発表、寝屋川石田ボクシングクラブに所属して活動。


2020年12月、エディオンアリーナ大阪第2競技場で小西伶弥とライトフライ級6回戦を戦い、6回3-0の判定勝ちでプロ復帰戦を飾った。


2021年5月にアメリカ合衆国テキサス州アーリントンのAT&TスタジアムでWBO世界ライトフライ級王者エルウィン・ソトに挑戦したが9回TKOで敗れた。


中学卒業後プロボクサーになったため、2014年に30歳にして愛知県名古屋市にある菊華高等学校に入学、普通科のスポーツアクトコースで学ぶ。

高校卒業後の2017年に系列の名古屋産業大学現代ビジネス学部に進み、社会科の教員免許取得を目指したが4年で卒業、卒業後に教員免許のための単位を取得。

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