概要
1945年2月4日から11日までクリミア半島の保養地ヤルタで開かれた米英ソ巨頭会談。アメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト,ソ連首相スターリン,イギリス首相ウィンストン・チャーチルほか,3国の外相および軍首脳が参加した。連合国の協調が最高点に達したのはこのときだといわれ,戦後国際秩序の形成にとって重要な意味をもったさまざまな取決めが行われた(ヤルタ協定)。 まず戦後世界機構に関しては,大国の拒否権,国際連合設立会議(サンフランシスコ会議)を4月25日から開催すること,その招請国の範囲,などで3国の一致がえられた。
日本の分割統治計画
第二次世界大戦において、ドイツが降伏後米・英・ソ・仏4カ国に分割統治されたように、本土決戦後の日本も北海道・本州・九州・四国を連合国それぞれが統治しようとした計画。
アメリカにある国立公文書館に現存する計画書では、
関東・中部地方(福井県を除く)及び三重県付近 - アメリカ占領地域
東京35区 - 米・中・ソ・英の共同管理
近畿(三重県を除く)及び福井県 - 中華民国とアメリカの共同管理
という計画。
備考
1945年(昭和20年)4月にルーズベルトは死去、ハリー・S・トルーマンが大統領に就任、1945年8月の総選挙でチャーチルは政権を失う。ルーズベルトとスターリンとチャーチルの3人が集まったのはヤルタが最後であった。
ムダヅモ無き改革
第四帝国と決着のために修行として小泉ジュンイチローは恐山へ行きイタコの力で三巨頭を呼び出す。ヒトラーを倒した三巨頭の老練かつ、したたかな打ち筋に小泉は苦戦する。修行の結果、小泉は新たな技を手に入れた。
ムダヅモの世界のヤルタ会談は三巨頭による三麻で利益配分を決めた。結果はスターリンが大勝、ルーズベルトはトントン、チャーチルは大負けしたのであった。