概要
鵜草葺不合命、盧茲草葺不合尊などと表記する。
意味は、母の豊玉姫が産気づいてから産屋の屋根を鵜の羽で葺き始めたのだが、それが葺き終わる前に生まれた皇子という意味である。
血縁
父はニニギノミコトの次子である山幸彦(彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト))で、母は海神の娘である豊玉姫(トヨタマビメノミコト)である。しかし、山幸彦は出産している時の姫の姿を見てはならないという約束を破って鮫(または龍)の姿の姫を見てしまい、姫は夫と子を残して海へ帰ってしまった。
残された父子の下に、豊玉姫の妹の玉依姫(タマヨリビメノミコト)が訪れ、乳母としてウガヤフキアエズを育てた。ウガヤフキアエズは成長したが、なんと乳母であり叔母である玉依姫に求婚を迫り、叔母と甥の仲で夫婦となった。そして四人の息子を産み、その四男が後の神武天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト)。
である。
誕生の地
ウガヤフキアエズノミコトが生まれた場所は、現在宮崎県の鵜戸神宮として伝えられている。
鵜戸神宮は海岸の断崖絶壁にある洞窟の中に朱塗り・銅葺きの社殿が建つという特異な神宮である。
東方projectにおいて
日本神話や宗教を題材に採る東方projectの一作品東方儚月抄などで仄めかされるところによると、綿月豊姫とその妹の綿月依姫、および二人の師である八意永琳の血縁関係は『人間風に言うと依姫は永琳の又甥夫婦の息子の嫁』とされている。
詳細はそれぞれの項に譲るが、永琳は八意思兼神、豊姫は豊玉姫、依姫は玉依姫に該当する。
つまり、ごく僅かに仄めかされているだけではあるが、ウガヤフキアエズノミコトは豊姫の息子であり、依姫の夫であり、永琳にとっては又甥の息子ということになる。
さらに敷衍すると、皇族である豊聡耳神子ともかなり希薄ながら血縁関係があることになる。
また、上白沢慧音のスペルカードである始符「エフェメラリティ137」についてのZUNのコメントに『親は何十万年と生きていたのにね。』とある。
ここでいう『親』とはつまり神武天皇の親であるウガヤフキアエズノミコトのことである。
日本書紀によればニニギ・ホオリ・ウガヤフキアエズの三代の治世はおよそ179万2470余年である。また、倭姫命世紀および神祇譜伝図記によればウガヤフキアエズの治世は83万6042年とされている。これらは「エフェメラリティ137」のコメントにおける『親は何十万年と生きていた』という記述と合致する。