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概要編集

邇邇芸命(『』)、または瓊瓊杵尊(『』)と表記する。

皇室の御先祖様で、天照大御神の御孫であることから天孫と呼ばれ、この神の後裔から輩出された氏族や近親同族を天孫族と呼ぶ。

正しくは、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト、『記』)、もしくは、天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊(アメニギシクニニギシヒコホノニニギノミコト、『紀』)と言い、その御名は天照大御神の直系の御孫にあたり、天地に稲穂が豊かに実ることを意味する。


あまり知られてはいないが、邇邇芸命の父親の天之忍穂耳命は、高天原を追放された須佐之男命が天照大御神のもとへ立ち寄った際に、謀反の気が無いかを確かめるために行った占い「誓約/宇気比(うけい、うけひ)」に須佐之男命が使用した、天照大御神の勾玉から生み出された。

そのため天照大御神は、自分の息子として彼を迎え入れたが、勾玉を使用して天之忍穂耳命を生み出したのは須佐之男命であるため、彼は須佐之男命の息子と言っても間違いではない。これは即ち邇邇芸命は須佐之男命の孫でもあるということになる。


こう言うと「そんな生まれ方あり得ない」とか言い出す人もいるが、そもそも古代史というのは「神話と史実を区別しない」のが世界の常識であり、史料が少な過ぎるためハッキリしたことは殆ど解らないので、安易に「これは本当だ」「これは嘘だ」と決めつけてはならず、仮説を積み重ねていくしかないのである。


国譲りによって大国主神を退けた天照大御神は、降臨される邇邇芸命に、直系の天孫を継承する証である三種の神器をお与えになって、さらに優秀な腹心の御霊と各氏族の長(五諸伴)を伴わせた。

途中、国津神の有力首長である猿田毘古神に導かれ、筑紫の高千穂の峰に降臨された。こうして後の天孫による葦原中国の統治が始まったのである。


後に邇邇芸命は阿多の木花之佐久夜毘売を娶り、喜んだ佐久夜毘売の父・大山津見神は姉の石長比売も妻へと差し出すが、その容姿が酷く醜かったため、邇邇芸命は姉だけを追い返した。しかし大山津見神は姉妹それぞれに長寿と繁栄を約束させていたため、天孫の子孫は花のように栄えても、岩のように永い寿命を得ることができなくなってしまった。


佐久夜毘売は一晩で身籠ったが、これを不審に思った邇邇芸命は彼女の不倫を疑い、国津神の子を宿してるのではないかと責め立てた。これに激昂した佐久夜毘売は産屋に籠って入口を塞ぎ、火を放って「腹中の子が国津神の子であれば無事に生まれず、天孫の子であれば無事に生まれるだろう」と誓約を行った。果たして無事に生まれた三柱の子は火中出産を行ったことから火照命、火須勢理命、火遠理命と呼ばれた。


漫画鬼灯の冷徹』でもネタになっていたが「一夜孕み」をやる。実に偉大である


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皇室 日本神話 天孫 天孫降臨 木花咲耶姫

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