概要
永正12年(1515年)、相模にて「伊勢氏綱」(後に「北条氏綱」と改名)の嫡男として誕生。
幼少児には物音にも怯える程の臆病者であり、父である氏綱が生前に「五か条の訓戒」を残す程その将来を心配されていた。
天文10年(1541年)、父親の死後に家督を継いで当主となった。
当主となってからは、山内上杉家、扇谷上杉家と河越城の戦いで争い、氏康の義弟である北条綱成らと共にこれらを打ち破った他、氏康の甥である足利義氏を関東公方に就けるなど縁戚関係も固め、関東での勢力を磐石のものとした。
その一方で、今川義元と武田信玄とは「甲相駿三国同盟」を結び、関東での上杉家の覇権を取り戻そうとした長尾景虎(後の上杉謙信)とは幾度となく争った。一時は本拠である小田原城を謙信に包囲されることもあったが、これを退けた。
謙信との争いが本格的になってきた永禄2年(1559年)、家督を嫡子の北条氏政へ譲り、隠居として実権を握る。その後は息子達に政務や軍事などの権限を徐々に移譲していった。余談だがこの隠居政治は息子の氏政にも引き継がれている。
桶狭間の戦いで義元が織田信長に討たれると、武田信玄が三国同盟を破棄して今川家の領土である駿河へ侵攻。氏康はこれに反発して武田家とは対立関係となり、逆に上杉家とは停戦に踏み切った。(この時に自分の息子の一人を謙信の養子とし、後に上杉景虎と名乗ることとなった。)
しかし、上杉家との利害関係が一致しなかったことから、のちに停戦は破棄された。(後に、氏康の死の直前に再び武田家と同盟を結ぶ様に命じたとも言われるが、跡を継いだ氏政の方針だったとも、武田家側から申し入れが存在したとも言われる。)
元亀2年(1571年)、小田原にて永眠。
逸話
- 自ら陣頭に立った合戦では不敗を誇ったが、自分が直接指揮をしなかった三船山の戦いでは敗北も喫している。
- 合戦で顔や体に幾度となく傷を負ったが、背中には傷を負わなかった(敵に背を向けなかった)勇猛さでも知られる。
政治手腕について
氏康の特徴として良く挙げられるのがその政治手腕である。ただしこれらは「北条家」の特徴でもあり、また先代当主・北条氏綱が隠居して実権を握っていたという説もあることに注意されたし。
- 領土の検地を徹底的に行い、農作物の生産量を詳細に調べ、それぞれの土地を治める家臣の兵動員数を定めた。
- 年貢の割合を当時としては低い水準の四公六民としたことで百姓の支持を集めることとなった。(ただし検地が厳しいため実質的には低くはない)
- 官僚機構「評定衆」を設置。評定衆による訴訟などの制度を整え、領内に目安箱の設置を行い、直接不法を評定衆へ訴えられる様にするとともに中間支配層を牽制した。
- 本拠である小田原に文化人や職人を呼び寄せ、大規模な都市計画や治水を行うなどして「西の山口、東の小田原」と言われる程に栄えさせた。
こうした内政の実績は後の後北条氏の当主や、後北条氏滅亡後に関東に移封してきた徳川家康以降、江戸幕府へ引き継がれることとなった。
創作物(アニメ、ゲーム等)における北条氏康
「信長の野望」シリーズにおいて
戦国時代をテーマとしたシミュレーションゲームである「信長の野望」シリーズにおいては、
政治と軍事の両方での功績もあってか、シリーズを通して非常に高い能力に設定されている。
(また、「信長の野望」と同じくコーエーが出している「太閤立志伝」シリーズでも同様に総じて高い能力に設定されている。)
ただし、最近の作品では選んだシナリオによっては武田・今川の両家と同盟を既に結んでいる状態でゲームを始める展開もあるので、侵攻先が限定されてしまうこともある。
「戦国無双」シリーズにおいて
「戦国無双3」から、プレイアブルキャラクターとして登場。使用武器は仕込杖。(CV:石塚運昇)
「ド阿呆」が口癖で、風貌も渋い不良大名であるが、
民や家臣、そして家族を思いやる一面も見せている。
「戦極姫」シリーズにおいて
「戦極姫2」から追加された女性キャラクター。
シリーズ上では北条早雲の娘として設定されており、
母から厳しく育てられた為か早雲の前では猫をかぶっているが、
元々は活発な性格であり男嫌いという性格付けもなされている。
(全体の設定が一新された「戦極姫3」でも氏康の設定は前作と同じである。)
関連タグ
戦国武将 後北条氏 相模の獅子 信長の野望 太閤立志伝 戦国無双 戦極姫
後北条氏一門
歴代当主
北条早雲(伊勢盛時) 北条氏綱(伊勢氏綱) 北条氏政 北条氏直
息子(当主を継いだ、氏政は除く)
北条氏照(大石氏照) 北条氏邦(藤田氏邦) 北条氏規 上杉景虎
他親族