ジャック・チャーチル
じゃっくちゃーちる
ジョン・マルコム・ソープ・フレミング・チャーチル(John Malcolm Thorpe Fleming Churchill)
概要
1906年6月、大英帝国統治下の香港に於いて産まれる。1926年に士官学校を卒業、ビルマで軍務に就く。
…この時ジャックは無線を習うためだけにインド・カルカッタ(ビルマから2,000kmも離れている。つまり往復4,000km)に自転車で行くという凶行に出ている。
…が1936年に一旦軍を退き、新聞編集者となった。ちなみに除隊の理由はあんまり楽しくなかったからだそうで。
第二次世界大戦が始まると軍務に復帰。理由は戦争ができるから。この戦闘狂め!
しかし彼が当初配属されたのはあまり戦闘の激しくない、というか「名目上では戦争してる」状態のフランス周辺。これではつまらないという理由でフィンランド義勇軍に志願。
しかし義勇軍自体が中止になったためまた暇になったのでバグパイプの練習に没頭していた。
…と思ったらドイツ軍がベルギーに侵攻したとの知らせが入る。もちろん飛びついた。
…ここで彼はとんでもないことをやらかす。
なんと近代戦のまっただ中で長弓を使ってドイツ側の兵士を倒した。尚、このスコアは第二次大戦中唯一の「弓矢によるスコア」である。
しかし連合軍の状況は悪化するばかりであり、さすがのマッドなジャックもダンケルクに於いてイングランドまで撤退するまでに追い込まれてしまう。
但しそこでくすぶっているようなジャックではない。新設のコマンドー部隊に志願。理由? 危険で楽しそうだから。
コマンドー部隊の(退屈な)訓練を受けた後、イギリスコマンドー部隊のリーダーとして戦地に赴く。
ここでジャックはまたしても凶行をやらかす。
あろうことか、またしても近代戦のまっただ中でバグパイプを演奏しながらクレイモアを抜刀しての突撃を敢行。しかもこれで突撃を成功させている(ノルウェー沖の島を一つ占拠。しかも非常に少ない犠牲で)。
さあ白状するんだ、「私はファイアーエムブレムの世界から迷いこんできた」と。
次に彼はイタリア戦線で破壊工作の任務の指揮を取ることになった…が。またやらかした。
今度はナポレオン時代よろしく戦列歩兵陣で突撃。もはや「近代戦とは何だったのか」である。
但しこの無茶苦茶というか時代錯誤な攻め入り方でドイツ軍をそんなバカなとばかりに士気を崩壊させ、自軍の捕虜42名を救出したり敵軍の捕虜を100名程確保するという手柄まで挙げている。
そしてユーゴスラビア戦線でバグパイプの演奏中に砲撃を受けて意識を失い捕虜となるが、収容所でドイツ兵にバグパイプの感想を聞いて回ったりしていたとかなんとか。
も ち ろ ん 、収容所におとなしく収容されているジャックではない。脱走を試みた。一回目は失敗してより脱走の困難な収容所に移されたものの、二回目で成功。小一週間程累計200kmの距離を自分の足だけで逃走した。あれ? 確かドイツにもこんな奴が居たような…。
そんなこんなをしているうちに第二次世界大戦が終結。ジャック曰く「ヤンキーが仕事をしなければ日本軍とも一線交えることができたのにチクショーめ!」。いいからもう休め。
二つ名は「ファイティングジャック」、「気違いジャック(Mad Jack)」だそうで。
座右の銘
士官たるもの、剣を持たずして戦場に赴くべきではない。
…これに関しては、「剣は士官の正装だ」という考えとも「もしも弾切れになった時に頼れるから(バイオハザードやってる人はなんとなくわかるかも?)」とも色々考える事ができるかもしれない。
ちなみに当時の日本では軍刀が士官の正式装備だった。流石は我らが皇軍である。(注)
注・士官にとっての帯刀は自身の身を護るためのものだが、襲い来る相手が敵のみとは限らない。士官は命令を出したり、集団を統括する立場上恨まれやすく(特に軍隊は理不尽なことが多いので)、部下に殺害されたり、そうでなくても襲われた例はゴロゴロある。
また、実戦において恐怖心から逃亡しようとする兵士を殺害する為にも使用される。
つまり士官の武装は「いつでも殺せる」と言う事を行動で表し戦う集団を維持するためのモノであり、前線で戦うためのものではない。
実際、現在の士官も拳銃を装備しているが、小銃や機関銃、果ては砲弾やミサイルが飛び交う現代戦では刀剣よりましとは言え大して役に立たないのは目に見えている。
一言で言えば
ファイアーエムブレムの世界から迷いこんできた男…かも知れない。