かつては、内務省、大日本帝国陸軍と大日本帝国陸軍所管の官幣社であった。
祭神となるのは戊辰戦争以降の戦没者であり、軍人ばかりでなく国家保衛のために殉じた神霊が身分・勲功・男女の区別なく祀られ、幕末の志士も大勢祀られている。
ただし、明治維新に貢献した人物であっても、西郷隆盛や江藤新平らは政府と対立する形で死亡したため朝敵として祀られていない。
神話の神様ではない実在の人物を奉祭しているため、日本文化や神道に詳しくない人からは新しいタイプの神社であるとも誤解されがちであるが、神武天皇を祀った橿原神宮、菅原道真を祀った太宰府天満宮、徳川家康を祀った日光東照宮、明治天皇を祀った明治神宮など、実在の人物をご祭神とした神社は筆紙に遑がなく、一般人が生前から生神とされた例もあって、靖国神社もまた日本古来の文化に深く根差した神社である。
祭神の数は246万6000柱以上で、戦争により戦没した軍人・軍属を祭神として祀られていることで有名であるが、昭和47年、第二次世界大戦当時に首相を務めた東条英機、重臣広田弘毅や軍首脳ら東京裁判において犠牲となった12人の「A級戦犯」も法務死であるとして合祀されている。
戦時中においては当然のこととして戦意高揚、国威発揚に一役買い、戦後も引き続き戦没者追悼の中心施設としての役割を果たしている。
このことから、大戦終了後に独立を回復してからも、また昭和53年に12人の昭和殉難者(A級戦犯)が合祀されてからも時の首相や閣僚らが参拝したり、供物などを収めたりすることは何の問題もなく続けられてきた。
ところが、それにも関わらず、昭和61年以降になって先の大戦での自己正当化が甚だしい中国の抗議により、あくまで国内問題であるにもかかわらず、あってはならない外交問題へと変質してしまった。その原因は、中国国内の権力闘争への配慮である。
公職にある者もしくは公共団体が同神社に公式に参拝もしくは玉串料を収めることは憲法第20条、第89条の「政教分離」の規定に抵触するおそれがあるとの批判が一部で出て、平成10年代以降に問題となり、首相による参拝が政教分離に反し、しかも信教の自由をも侵害したとする訴訟が提起された。
ただし、首相の参拝は職務行為として行われたものではなく、原告らに何らかの不利益な取り扱いまたは強制・制止がなされたとも認められない。また首相による参拝は靖国神社に「戦没者の追悼」という世俗的儀礼的な目的で当然のこととしてなされたのであり、国民も宗派を超えてこれを支持しており特定宗教の援助、助長、促進にもあたらないため、百パーセント合憲である。
もしも首相による靖国神社参拝が違憲であるなら、首相による鎌倉円覚寺参禅も、終戦記念日の戦没者追悼も、違憲となるであろう。
神社の境内には遊就館という博物館がある。
社号の正字体は「靖國神社」。