マリアナ沖海戦
まりあなおきかいせん
マリアナ沖海戦とは、1944年6月19日~同20日にかけて行われた日本海軍とアメリカ海軍による海戦。
太平洋西武にあるマリアナ諸島の争奪が主目標となったためこの名がある。アメリカ海軍が圧勝し、日本海軍は主力である航空戦力が壊滅した。
詳細はWikipedia等に譲るとして、ここでは大まかな流れを説明する。
あ号作戦、および海戦まで
1943年の終わりから1944年の中ごろにかけてアメリカ軍は中部太平洋への攻勢を強め、ニューギニアを占領、トラック諸島への空襲などを行うようになっていた。また、6月ごろにマリアナ方面に進出すると推測された。
そこで連合艦隊はそうなる前にアメリカ軍をパラオ方面へ誘い込み、空母機動部隊および基地航空隊によりそれを撃破するという作戦を立てた。
しかしながらこの作戦は立案の時点ですでにアメリカに漏洩(日本海軍の作戦文書は海軍乙事件によりアメリカ側に奪取された)しており、アメリカ軍に逆にその作戦を利用される羽目になった。
またアメリカ軍は潜水艦をあらかじめ派遣し、日本海軍の訓練を妨害、その際日本側の駆逐艦を4隻、給油艦2隻を撃沈した。
さらに、アメリカ軍は西部ニューギニア沖のビアク島に上陸、日本軍は敵軍の進路を読み間違え、マリアナから兵力を動かしてしまう。だが、ビアク上陸とともに動いていた空母15隻基幹の機動部隊によりサイパンを奇襲され、上陸を許してしまう。
日本軍の作戦とアメリカ軍の対応
日本軍の作戦としては、空母9隻を含む機動部隊と「沈まざる空母」基地航空隊の航空戦力を併せてアメリカ機動部隊を攻撃、特に空母の飛行甲板を狙うことでその航空戦力を封殺した後、戦艦を主力とする水上艦艇の突入により砲雷撃の艦隊決戦に持ち込み、撃破する狙いであった。
しかし上述のように艦隊決戦にまで持ち込む条件として、緒戦の航空戦での勝利は絶対条件である。そこで考案されたのがアウトレンジ戦法である。
これは日本艦載機の航続距離がアメリカ艦載機よりも長いことを利用し、アメリカ機動部隊の攻撃可能範囲外から艦載機を発進させてこれを攻撃、反撃を受けないまま一方的に撃破することを狙った戦法であった。
基地航空隊には1500機の配備を予定していたが、空襲による被害や渾作戦のためニューギニア方面へと戦力が移動したことなどから6月11日にアメリカ機動部隊の攻撃を受けた時には配備されていた機体は200機以下になっていた。
両軍の空母戦力
日本機動部隊の陣容は大型正規空母3隻、改装中型空母2隻、改装軽空母4隻の合計9隻であり、開戦以来の大機動部隊となっている。しかしアメリカ側は正規空母7隻に軽空母8隻の計15隻であり、さらに搭載機数は日本軍の倍に達していた。
6月19日
あ号作戦の発動「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ」
日本艦隊を率いる小沢提督は「あ号作戦」の発動を下令、全艦隊を率いる旗艦大鳳にZ旗を掲げて出撃した。Z旗は「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ。」を意味する。大日本帝国の命運を賭けた「あ号作戦」は、ここに開始された。
日本軍の航空攻撃
それまでにも日本海軍の基地航空部隊はアメリカ艦艇に対して攻撃を加えていたものの、戦果はなかった。また、訓練不足や戦闘の消耗による技術の低下により作戦自体困難となっていた。
アメリカ海軍は日本の機動艦隊を発見できないため、グアムの地上部隊を攻撃、上空の制空権を確保した。
日本軍はアメリカ機動艦隊を発見、日本軍は望みを掛けたアウトレンジ攻撃に移るが、それをレーダーで察知していたアメリカ軍に迎撃され、すでに技量を維持できていない日本軍側の航空機(零戦、天山、彗星)は敵に損傷をほとんど与えることが出来ず壊滅する。
日本機があまりに簡単に次々撃墜されていく様を見たアメリカ軍は「まるで七面鳥撃ちのようだ」と嘲笑ったという。
日本軍はアメリカ潜水艦の攻撃により魚雷一本を受けた大鳳が小破、修理後再度航空機(零戦、天山、九九艦爆)による攻撃を行うが、これも敵艦隊にダメージを与えることは出来ず、ほとんど喪失することとなった(これは撃墜された以外にも帰還できなかったものも相当数存在する)。
大鳳、そして翔鶴の喪失
魚雷1本を被雷した大鳳は、作戦続行に支障無しと思われていたが、この時の被雷が原因で航空機用燃料が気化し艦内に充満、換気作業も行われたが突如大爆発を起こす。消火活動が行われたが鎮火せずそのまま沈没してしまう。日本海軍の期待を一身に背負った最新鋭の装甲空母「大鳳」は、初出撃の作戦すら完遂することなく、喪失してしまった。
また今度は「翔鶴」もアメリカ潜水艦の攻撃により、四発もの魚雷を受けてしまう。必死の復旧作業も虚しく、真珠湾以来の武勲空母「翔鶴」も航空機用ガソリンに引火して大爆発を起こして沈んだ。
機動部隊の中核をなす主力2空母を失った日本艦隊は、戦力建て直しのため退却することになる。なお大鳳の轟沈後、機動部隊の旗艦は重巡洋艦「羽黒」が引き継いでいる。
6月20日
飛鷹の喪失、日本艦隊の敗退
この日の午後、アメリカ軍は撤退中の日本軍機動部隊を発見、攻撃により帰還できない可能性があるにもかかわらず航空部隊(F6F、SB2C、SBD、TBF)を派遣する。日本軍にはこれを防ぐ航空部隊はほぼ残っておらず、各艦は次々に被弾する。
その結果、雷爆撃により火災を起こした飛鷹は消化ポンプの故障により救援を断念され、退去した乗員が見守る中、静かに波間に消えた。
また開戦以来「幸運艦」と謳われた瑞鶴が初めて直撃弾を受けた他、隼鷹・千代田・龍鳳も損傷。さらに給油艦二隻が沈没している。
これ以後も日本艦隊はなおも反撃の機会をうかがっていたが、連合艦隊司令部は作戦中止と撤退を命令。ここにマリアナ沖海戦は終結した。
結果
この海戦によりほとんど戦果が無い(アメリカ軍は喪失艦艇無し)まま主力を担う空母3隻と参加航空機の3/4を失った日本海軍は、機動部隊を中心にした戦闘が不可能となった。さらにマリアナ諸島を失ったことにより、「日本に有利な状態での講和」は不可能になったとされる。
また大鳳と翔鶴を失い瑞鶴だけになってしまった第一航空戦隊と、飛鷹を失い隼鷹と龍鳳も損傷を受けた第二航空戦隊は解隊となった。ただ一隻で残された瑞鶴は、瑞鳳、千歳、千代田から成る第三航空戦隊に編入され、レイテ沖海戦で共に囮として散ることになる。
そしてアメリカ軍は占領したサイパン島に飛行場を建設、以降はB-29の大編隊が日本本土を焼け野原と化していく。日本の興廃を賭けた決戦の結果は、明らかであった。
余談
前述したように、この海戦の一方的な空戦はマリアナの七面鳥狩り(Great Marianas Turkey Shoot)と呼ばれたが、現在アメリカ空軍ではこれを元ネタとした「オペレーション・ターキーシュート」という軍事演習を定期的に行っており、1000以上もの地上目標に対し戦闘機が一斉に攻撃をかける内容となっている。
また、この海戦に参加していた榛名は、後部甲板に直撃弾を受けてしまい、最大船速を出せなくなってしまった(修繕後も最大船速を出すと、艦尾が振動を起こすようになってしまい、これ以降は機関三軸運転を余儀無くされ、最大船速も26ノットまで落ちた)。