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福島正則の編集履歴

2014-12-23 18:45:58 バージョン

福島正則

ふくしままさのり

福島正則(1561-1624.8.26)は、日本の戦国武将。

概要

安土桃山時代から江戸時代前期を生きた武将・大名。


永禄4(1561)年、福島正信の長男として尾張国海東郡二寺村(現在の愛知県あま市)に生を受ける。

母は正信の正室で豊臣秀吉の叔母にあたる木下氏。幼名、市松(いちまつ)。


天正6(1578)年、播磨国の三木城攻略戦において、秀吉の小姓衆として功名をあげて以降、

秀吉旗下として各地を転戦。5年後の賤ヶ岳の戦いでは「賤ヶ岳の七本槍」筆頭として勇名を馳せる。

天正13年、従五位下左衛門尉に任ぜられ、左衛門大夫正則(さえもんのたいふ-)と名乗る様になる。


秀吉死後の慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いでは徳川家康側につき東軍の先鋒第一番手として、

西軍宇喜多秀家隊と交戦し、東軍勝利に貢献。


戦後は毛利氏の居城であった広島城を与えられ、安芸・備後を領する広島藩の藩主となるが、

元和5(1619)年に行った広島城の修築の件を幕府に咎められ、信濃・越後に転封されて、

川中島の高井野村(長野県上高井郡高山村)に蟄居する。


翌年、息子・忠勝の早逝に伴い越後領を返還し、寛永元年に正則も没する。

この際に、幕府検使・堀田正利の到着前に遺体を火葬してしまった事で、高井野藩は廃藩されてしまう。


創作物での福島正則

戦国無双シリーズ

ツっぱる事が漢の―

CV:藤本たかひろ

『3猛将伝』からプレイアブルキャラクターとして登場。武器は刺棍。


秀吉子飼いの若武者。共に育った加藤清正を兄弟の様に慕う一方で、石田三成とはソリが合わず、彼を「頭でっかち」と呼んだりと喧嘩が絶えない。そのことでよくねねからお説教されている。


喧嘩っ早く単純な性格だが、情に厚く涙脆い面がありどこか憎めない。

普段仲の悪い三成のことも内心は大事な家族として認めており、時勢で敵対した際も本当は戦いたくないという気持ちを漏らしている。


リーゼント風の髷や黒長ランのような甲冑など、一昔前のヤンキー不良学生)を彷彿とさせるデザインをしており、うんこ座りの立ち絵グラフィックや作中での口調などもそれに拍車をかけている。

なお、このデザインは『ポケナガ』のマサノリにも引き継がれている。


『4』では襟が高めの白い羽織りを袈裟懸けに羽織っており、どことなく暴走族の特攻服のようにも見える。


ちなみに戦国無双2では一般武将として登場していたが、ねねや三成と関わりがあるからか他の武将と比べて台詞が多い。CVは草尾毅さん(真田幸村と兼役)

ねねの章の外伝「関ヶ原乱入」でのねねとのやり取りは完全に親に叱られる子供だった。(またこのやり取りは無双OROCHI魔王再臨でもあるがこの時は真・三國無双側の勇将のCVであった田中大文さんによる新録であった)



関連イラスト

アイライン中俺得の組み合わせ


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