概要
1977年に立命館大学を卒業したのち、日本共産党系の出版社に勤務。
フリーのジャーナリストとして、カルト問題に取り組み『週刊文春』などで統一教会の霊感商法や合同結婚式への批判的取材で名を挙げる。またテレビのコメンテーター(これは友人であった江川紹子の関係で詳しくなったオウム真理教関連も大きい)としても有名となる。
また北朝鮮拉致問題にも取り組んでいた一人である。
政治家として
1970年に日本共産党に入党していたものの、ジャーナリストとして「日本共産党への手紙」(15人の著名人による意見書)の編集にかかわったため1990年に除名処分となった。
政治家となり、新党日本の副代表となるものの、2回の選挙で当選できず。
そののち民主党に移籍、2010年の参議院選挙比例代表にて党内で一番多い得票で当選。
スタンス等
いわゆる左翼寄りの思想とされ、ネット右翼から嫌われている。具体的には、反原発、外国人参政権賛成、高校無償化に対する外国人学校の適用賛成、選択的夫婦別姓制度導入賛成、ヘイトスピーチ規制に賛同(ただし他の面では表現の自由および言論の自由を守るとの立場をとっている)であるとされる。
また、在日朝鮮人の親睦団体である在日本大韓民国民団や在日本朝鮮人総聯合会の幹部層と交流があるとされているが、元々有田は北朝鮮による拉致問題や統一教会などの問題に取り組んできた経緯から、かつての北朝鮮や韓国には批判的であり、在日本朝鮮人総聯合会とは対立していた人物である。