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サウジアラビアの編集履歴

2015-09-11 16:21:13 バージョン

サウジアラビア

さうじあらびあ

アラビア半島にある中東の国。中東の中では珍しい親米国家。

中東にあるアラビア半島の大部分を占める国家。

首都リヤド

世界の代表的な産油国の一つである。

イスラム教聖地であるメッカメディナがある。

サウジアラビアに関連する事象

  • サウジアラビアの国名が意味するところは、「サウジ=サウード家」の「アラビア」である。つまりサウード家による絶対王政である。宗教警察が日々目を光らせており、戒律に反することがらへの弾圧は厳しく、たとえば酒が存在しない。どれくらい徹底しているかというと、闇市場が存在しないくらい。
  • このほかギャンブルポルノ、「偶像崇拝」とみなされる物品の所有・収集、魔術オカルト、イスラム教(特に国教であるワッハーブ派)やその開祖ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフへの批判が禁じられている。また王家への批判も厳禁。
  • 一部クルマ好きの間ではとてつもなくぶっ飛んだ、しかも日本のそれとは全くスタイルが異なるドリフト(いわゆる「サウジドリフト」)が行われる地としてその名が知れ渡っている。
  • その反面、世界で唯一(つまりイスラム国でも唯一の)「女性が自動車を運転してはいけない国」でもある。サウジアラビアはクルアーンとハディース、スンナ(ムハンマドの言行録と慣行)を憲法とする。イスラム教をベースに統治が行われているのだが、イスラム教の極めて保守的解釈から女性の地位があまりに低い。一切肌を露出してはいけない。イスラム教は主に「スンニ派」「シーア派」の2つがあるが、サウジではスンニ派を国教としており、それ以外の宗教の信仰は極めて制限される。例えば他宗教の聖典や宗教用具を持ち込むことができない。同じアブラハムの宗教の聖典である聖書でさえもである。
  • 公開処刑がいまだに行われているのも特徴。イスラム教の教えに合わないことをした者を殺すというとんでもない理由で面目を保つ「名誉殺人」もまかり通っている(「名誉殺人」はイスラム教でも禁じられているため、部族や家系の面子を守るため、という側面が強いが)。周囲の国々からは非難の声を上げようとする者はいるが、世界最大の産油国ゆえに石油の輸出を止められてしまうことを恐れ、表立った非難にはなっていないことが多い。軍事大国アメリカと親しいことも無関係とは言い切れない。処刑場も場所を転々としながら運営されている。
  • 日本からの直行便はなく、観光目的では団体ツアー以外はお断り。上記から想像できるように、渡航危険区域にも指定されており、そもそも観光客を受け入れないスタンスらしい。なお、イスラム教の聖地メッカがあるため、イスラム教徒=ムスリムは巡礼目的での入国が許されている。たびたびムスリムでない者が変装してメッカに忍び込んでは、逮捕されて処刑あるいは厳罰に処されているとのこと。
  • 裁判はアラビア語で進められ、被告がアラビア語を理解しなくても関係ない。そのため、うかつにイスラム教の戒律に触れてしまうと拷問で極刑に処される可能性もある。
  • 国旗に書かれている文字は、イスラム教に入信するときに唱える必要のある一文で、「アラーのほかに神はなし。ムハンマドはアラーの使徒なり」を意味している。つまり国旗そのものがイスラム教と密接につながったものであり、半旗にすること・縦向きで掲示することが禁じられている。
  • 上記の理由で他国の常識では考えられない理由での処罰、国外追放などを行うことが度々ある。2013年にはアラブ首長国連邦から来ていた3人の外国人男性を「イケメンすぎて女性達を惑わす」との理由で国外退去処分にして話題を呼んだ。このうち1人はイラク人のモデル兼カメラマンのオマール・ボルカン・アルガラであり、この騒動が縁で日本のイベントに呼ばれたりもしている。
  • フランスとは仲が良く、2015年7月下旬に千人の家臣を連れて砂浜海岸でバカンスを行っていた。ただしその後、フランス国民が激怒して予定よりも早く帰って行った。

(加筆お願い致します。)


ワッハーブ派

サウジアラビアはイスラム教のスンナ派に属しているが、スンナ派でも最も過激なワッハーブ派を国教としている。

スンニ派のハンバル学派に位置する宗派として紹介されることが多いが、全てにおいて同じというわけではない。スンニ派の代表的な他の法学派とも教義解釈が異なっている。

オスマン帝国統治時代のイスラム改革運動に由来し、思想的リーダーはムハンマド・イブン・アブド・アルワッハーブという人物でワッハーブ派という名称はここからきている。

彼はスーフィー実践者イブン・タイミーヤの影響を受けつつも、スーフィーを否定するに至った。

ワッハーブは四学派の一つ「ハンバル派」のムスリム出身であり、彼自身もそう考えていたが、

彼の弟スライマン・イブン・アブド・アル=ワッハーブをはじめとするイスラム学者たちはこれを否定した。現代でもワッハーブ派を否定するスンニ派ムスリムがいる。


ワッハーブはサウード家(現在のサウジ王家)という支援者を得、ワッハーブの教義解釈に帰依したサウード家は彼らとワッハーブ派に従わない他のムスリムを攻め、勢力を拡大した。

その渦中で他のイスラム諸国には一般的な聖者廟などの聖地をも偶像崇拝の産物として破壊し、ワッハーブの考える「本来のイスラーム」を実現しようとした。

この苛烈さは後世にも引き継がれており、上記にもみられるような問題行動を引き起こしている。

ISIL(自称「イスラーム国」)を支援している噂さえ出回るくらいである。ISILはサウジアラビアのワッハーブ派を主軸としているのではないかと言う話が後を絶たない。

その事をかの有名なイランラジオの制作番組『ISISとは?』で放送された位である。

このような説が出る理由として、ISILにサウジ人の支援者がいたこと、またワッハーブ思想がISILにつながるサラフィー・ジハード思想の源流となったことも関係しているのだろう。

ではISILのほうは親サウジかというと全くそうではない。サウジの王政は、彼らが報じるカリフ制に反するものであり、いずれ倒すべき対象でしかない。

事実ISILが提示する将来の支配地域図において、サウジアラビアのある所は「イスラーム国のナジュド州」になっている。

既に同名の傘下組織がサウジ内で活動し自爆テロまで起こしており、当局は頭を悩ませている。

イエメン侵攻による非難。

サウジアラビアはご存知の通り、AIIB(シオニストインフラ投資銀行)の創設メンバー国でありその金を使ってイエメンに対して侵略戦争を起こした。

その影響でロシアイランや他の中東諸国や南米諸国では非難が殺到している。

サウジアラビアのイエメン侵攻は侵略戦争です。

因みに中国はAIIBが絡んでいる為か、イエメン侵攻に対して表立って非難していない。


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