概説
霜月騒動で安達泰盛を滅ぼし幕府の実権を握るが、貞時によって粛清される。
彼の後鎌倉幕府は一族の長崎氏ら御内人が実権を掌握していくことになる。
大河ドラマ『北条時宗』における平頼綱
大河ドラマ『北条時宗』では北村一輝の怪演によって時宗に対する忠誠心と敵に対する残虐さを併せ持った人物として描かれている。初登場は第12話『暗殺』。ドラマでの彼は生まれも確かではない孤児で、当初は『八郎』と名乗った。幕府の要人から位にしがみつく時の執権・北条長時の暗殺を依頼され、実行する。後に日蓮に降りかかった危機を助けたことをきっかけに(長時暗殺の件をダシに泰盛を脅迫したも同然で)召し抱えられ、そこで時宗と出会うことになる。『平頼綱』という名は時宗から得宗家公文所の所司の役目を与えられた際、「身内ではない八郎をいきなり役職に就けては周りの者も黙ってはいない」との理由もあって平盛綱の養子となった際に時宗から貰った名前となっている。ちなみに先述の長時暗殺の実行犯であることは第30話で自ら明かすまでは時宗には知らされていない。
日蓮に本性を見抜かれて狂ったように殴りつけたり、蒙古軍の捕虜を皆殺しにしたり北条時輔の正室を斬り捨てるなど容赦なさ、正規の御家人が持っている武士の心を持たない一面がしばしば強調されている。が、時宗への忠誠心はほとんど犬であり、時宗に仕えるようになってから第22話『京の闇』で披かれた婚儀の席で「妻の実家(飛鳥井家)の者が怒ってまいる」との理由で時宗から直々に禁止されるまで「もったいのうございます、某のようなものが」という言葉が口癖となっていた。ちなみにこの縁談の際、頼綱は「某は一生妻を娶らず、時宗様に尽くすつもりでございます!」と堂々と宣言しているが、時宗の命もあって結局は結婚。夫婦共々時宗の子の乳母(めのと、要は養育係)となる。北条教時が放った刺客によって時宗の妻子が襲われた際は身を挺して2人を護り、背中と脚を射られる大怪我を負う。が、二月騒動の際は怪我を押して参戦し、教時の兄・時章の最期を見届ける。文永の役では時宗の命により博多湾での闘いに参戦(この際、「時宗様はわしに飽きられたのじゃあ!」とショックのあまりに頭を執拗に打ち付けて泣き叫んでいる)、蒙古兵を「敵は物の怪じゃ」と執拗に斬りつけて少弐景資から注意を受け、逆ギレをしている。
弘安の役は博多にこそ行ってはいないが、八郎時代の装束を纏って時宗と刺し違える覚悟で執権館へと赴いた泰盛に襲い掛かる。
その忠誠心は最後まで変わることがなく、最終話で時宗が亡くなった際は人目をはばからず泣き叫び、妻からビンタを喰らうまで魂が抜けたように体育座りで凹んでいた。
頼綱曰く、「時宗様はわしの光じゃった・・・。」