ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

少弐景資

しょうにかげすけ

鎌倉時代中期の九州の武将・御家人。少弐氏4代当主。(1246-1285)
目次 [非表示]

概要編集

元寇に際し、鎮西奉行として九州御家人達の指揮にあたり、父の資能や兄の経資と共に蒙古軍と戦った。八幡愚童訓によると、の文永の役(1274年)で、景資は博多湾沿岸での戦闘において「日の大将軍」であったと言い、景資ないし彼の郎党が蒙古軍副司令官であった劉復亨と思しい人物(流将公)を矢で射止める大功を挙げたと言われている。弘安の役(1281年)にも参陣して奮戦した。

蒙古襲来絵詞には、出陣する竹崎季長を見送る景資の姿が描かれている。


父の資能の死後、兄の経資との間で家督をめぐる争いが起り、弘安8年(1285年)に鎌倉で有力御家人の安達泰盛内管領平頼綱とが対立した霜月騒動が起きると、景資は泰盛側に与して泰盛の子で肥後守護代・安達盛宗と共に筑前国で挙兵したが、頼綱側に与した兄・経資の追討を受け、居城である岩門城で敗死した(岩門合戦)。享年40。


登場作品編集

北条時宗(大河ドラマ) 演・川野太郎

父・資能とともに九州御家人のリーダー的存在として登場。

元寇では博多における実質的な幕府軍の大将であった。討死にした蒙古兵を執拗に斬りつける平頼綱(演・北村一輝)をたしなめた。

敵の副司令官・劉福亨を発見した時、矢を命中させる。


アンゴルモア元寇合戦記

CV.立花慎之介

蒙古軍の襲来直前に旅僧に変装して対馬を訪れ(少弐氏は対馬の守護)、迅三郎に援軍を送ると約束したが、他の御家人達に本土防衛の遅れを取ることを憂慮する父の資能の妨害で失敗した。

博多編では、九州御家人をまとめて博多湾の合戦に臨む。

敵の副司令官・劉福亨(CV.子安武人)と相まみえ、矢を命中させる。


関連タグ編集

少弐経資

元寇

アンゴルモア元寇合戦記

北条時宗(大河ドラマ)

この記事のカテゴリ編集

キャラクター・人名 歴史

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 137

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました