第1次ソ・芬(ソ連・フィンランド)戦争(1939.11.30 - 1940.3.13)のこと。
続く第2次ソ芬戦争は「継続戦争」とも呼ばれる。
簡単な概要
_,.r:::::::::::::::::::::::-、
r;r'''''''"""゛゛゛ヾミ:::ヽ ようこそ、フィンランドへ
/i' ゛ミ:::::::ヽ このモロトフ・カクテルはサービスだから、まず焼けて落ち着いてほしい
l:i' ミミ:::::::l
i:! ミ::::::l うん、「ゲリラ戦」なんだ。済まない。
,| ,,,,、_ ,,-= ,,,,, ミ:::/ ソ連は厚顔厚顔無恥って言うしね、謝っても許してくれないと思う
l",-u>゛i "ィ''Cヽ゛;、 ヾ"`!
l i `‐ ; ぅ ! でも、このマンネルハイム線を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない
l /(_ ヽ i_,/ 「徹底抗戦」や「ウザさ」みたいなものを感じてくれたと思う
i ;彡""ミ≡ヽ イ 殺伐としてるソ連の隣で、生き残るのってムズカシイ、
ヽ  ̄ ̄゛ ,,,/lヽ そう思ってドイツと同盟を結んだんだ。
ヽi'___/ノ::::::::::l
r:::ヽ/~::::[×== ]:::l じゃあ、カレリア割譲以外の注文を聞こうか。
真面目な概要
両国の領土問題(というよりスターリンからの一方的な領土割譲要求)に端を発し、第二次大戦勃発後に起こったフィンランドとソビエト連邦間の紛争。
圧倒的な物量と人命軽視のお国柄を生かして人海戦術を展開するソ連軍に対し、フィンランド軍は絶望的な兵力差がありながら、地形を利用した焦土作戦やゲリラ戦術、他国では既に二戦級の輸入兵器や、ソ連からの鹵獲兵器のレストア品を駆使して戦い抜いたことで知られている。
「冬の戦争」
事態は第二次世界大戦以前にまで遡る。
緊張を高めるドイツとソビエトの間に広がる北欧・東欧諸国には、少しでも優位に立とうとする両国が勢力を伸ばそうとしていた。
フィンランドにもその手は広がり、ソビエトによる事実上の属国化が突き付けられる。この要求は到底受け入れがたいものであり、フィンランド政府はなんとか譲歩の道を探そうとするが、1939年11月3日に交渉が決裂。
同11月26日、「マイニラ砲撃事件」(ソ連による自作自演の攻撃)が発生。11月30日、この事件を「フィンランド側の挑発だ」としてソビエトはフィンランドへの侵攻を開始する。
≪冬戦争≫のはじまりである。
翌12月1日、ソビエト占領下のテリヨキ市街にて、ソ連への亡命フィンランド人であるオットー・クーシネンによる事実上の傀儡政権「フィンランド民主共和国」が樹立され、フィンランド国内にいる共産主義者を離反させようとした。
しかし「スターリンの大粛清」から逃れた者たちによってソビエトの実情は知れ渡っており、画策は失敗に終わった。「危険人物たち」はすべて牢屋に繋がれており、国内の活動も違法となっていたのだ。
それどころか残った社会主義・共産主義者たちは団結し、
「投降してもきっとシベリアで殺される。どうせなら国のために死ぬまで戦おう!」
と覚悟を決める結果となった。
こうして士気、戦意とも旺盛に団結したフィンランド軍は各所でソ連軍部隊を撃破。
銃も揃わない兵士たちは倒したソ連兵の銃を奪い、またソ連兵を倒していった。
ついでに言うと軍服すら揃わなかったのだが、盛んなゲリラ戦術でもってソ連軍を追い詰めていった。
対フィンランド戦を甘く見積もったソ連が準備不足のまま侵攻してきたこと、スターリンの大粛清によって当時のソ連軍がまともに機能していなかったこともフィンランド軍には幸いした。
この勇敢な戦いが知られるのは、外国の特派員が『雪中の奇跡』として報道してからである。
これを受けて世界中から支援が寄せられたが、決定的な有利には至らなかった。中には援軍でもって介入しようとする動きもあったのだが、戦争に巻き込まれる事を嫌ったスウェーデン・デンマークにより拒絶されてしまう(この二国の領土・領海を通過しなければフィンランドには行けなかった)。
支援の全ては遅すぎ、また少なすぎた。
1940年3月13日、消耗しきったフィンランドはモスクワ講和条約に調印。
これにより、産業の一大中心地を含む国土の1割を割譲させられる事となった。独立こそ守ったものの、その代償は大きなものだった。
領土を失い、またナチスドイツのスカンジナビア侵攻やスウェーデンの中立維持により、 フィンランドは国際的な立場を失っていく。アメリカなど連合国との物理的距離も遠のき、枢軸国と共産国家にも囲まれて、中立の維持も無意味となっていった。
結局、軍事援助を欲したフィンランドはナチスドイツに接近し、失地奪還をめざしてソビエトと敵対する道を選ぶのである。