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F2Aの編集履歴2016/06/04 21:51:49 版
編集者:iks
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F2A

えふつーえー

アメリカ海軍の第二次世界大戦初期に活躍した艦上戦闘機である。イギリス・ベルギー・オランダに輸出され、日本軍機とも戦火を交えた。旋回格闘戦では日本軍機の敵ではなかったが、のちにフィンランドに輸出された機が戦果を残している。

はじめての〇〇

アメリカ海軍は1936年、

艦上戦闘機を近代化すべく、単葉・引き込み脚・密閉式コクピットを持つ戦闘機を要求した。

ブリュースター社はこの要求に対し、XF2A-1試作機を提出して応えた。

(グラマン案はのちにF4Fへと発展する)

XF2A-1は1937年12月に初飛行、翌1938年1月から評価が始まっている。同6月にはF2A-1が66機発注され、更に翌年(1939年)から引き渡しが開始された。ただし実際に納入されたのは55機であり、空母「サラトガ」の海軍第3戦闘航空団(VF-3)に10機が配備された。

残りの44機はフィンランドへの支援物資として各種制式装備などを外し、もしくは格下げ品に交換した非武装のB-239として輸出された。(残り1機の行方は謎)

単葉・引き込み脚・密閉式コクピット

当時、1930年代には近代的な設計とされていた3点セットである。

・単葉:主翼は一枚だけ。複葉機よりも揚力では落ちるが、空気抵抗が少なくなる。

・引き込み脚:車輪を収納可能。空気抵抗が少なくなる。

・密閉式コクピット:コクピットのまわりを完全に囲っている。空力の乱れを抑えられる。

どれも設計や、機器の発展が無ければ出来ない事である。中でも車輪については引き込み装置の軽量化・信頼性の向上が必須であり、どの国も苦心を重ねて完成させていった。

改良と困難の山道

1940年9月、エンジンの性能強化などを含んだF2A-2の引き渡しを開始。(43機)

1941年7月、防弾装備を拡充したF2A-3が引き渡される。

当時、すでにドイツ戦闘機に対抗できないことが判っていたが、イタリア日本戦闘機への過小評価もあってイギリスベルギーオランダへ売却された。特にイギリスは『バッファロー』と名付け、前述の理由で地中海やシンガポールマレーシア(マレー半島)に配備している。

配備されたイギリスオランダのバッファローはご存知の通り、日本の一式戦闘機ゼロ戦により大損害を負っている。さすがに旋回格闘戦では劣勢を否めず、その鈍重さ・そのスタイリングから『ビヤ樽バッファロー』と呼ばれた。最後の実戦参加は1942年6月、アメリカ海兵隊VFM-221(第221海兵隊戦闘航空団)がミッドウェー海戦に参加している。日本ゼロ戦に対し、果敢にも格闘戦を挑むが19機中13機を失う損害を出している。

いすれにせよ太平洋では『強い戦闘機』とは評価されていない。これはパイロットがF2Aが本来得意とする一撃離脱戦法を使わず、当時の定石である格闘戦に固執していた事も大きい。

これ以降、アメリカでは機種が更新されてF6FF4Uが配備されていく事になる。すっかり陰に隠れてしまったF2Aだが、今度は予想もつかない方面で注目される。フィンランドに輸出されたB-239が思いもよらぬ活躍を見せるのだ。

ソ・フィン戦争とバッファロー

 1939年11月~1940年3月12日にかけて起こった第1次ソ・フィン戦争の結果、フィンランドはソ連に領土を奪われてしまった。この後、フィンランドは軍備強化の一環としてF2Aを44機、スウェーデンを経由して輸入したのだ。フィンランド空軍に輸出されたこのB-239(F2A輸出型)は独ソ戦開始とともに起こった第2次ソ・フィン戦争において目覚ましい活躍を見せている。撃墜/損失の比は15機の損失に対して444機のソ連機を撃墜するという驚くべきものだ。ゲリラ的戦術をとり、「2〜3機撃墜したらあとは逃げる」ことを徹底したことがこの成果につながったともいわれる。

B-239は『空の真珠』と称えられ、戦争中はとても大切に扱われた。例えば敵地に不時着したBW-365号機を奪還するため、陸軍が越境して回収に向かった例もある。

この機は修理後にニルス・『ついてない』・カタヤイネンによりテスト飛行が行われた。

彼は悪運の強さが有名で、これまでも何度となく奇跡的な生還を果たしていた人物である(飛行機はそのたびに大破するが)。この時も修理が不完全な事から故障が発生し、緊急着陸を試みるも縦に一回転して逆さまに転覆した。このような事故は非常に危険で、アリューシャンで不時着を試みた零戦も不時着に失敗し、パイロットが潰されて死亡している。

(この機は最初に鹵獲された零戦となった)

だが彼は無傷で地上に降り立ち、駆けつける同僚や消防士に手を振って見せたという。当然機体は修理工場に逆戻り。いっぽうニルスは任務に復帰したとか何とか。

さすがにMe109が配備された後は二線級装備となり、戦闘爆撃機などに格下げされたが、BW-239の性能にほれ込んだフィンランドは「デッドコピー版BW-239」の開発にも取り掛かる。しかし部品を完全にマネできなかったか、それとも建造にまつわるノウハウ不足だったのか、エンジン出力は低下したうえに機体重量は増加し、80機発注されていた分はすべてキャンセルされた。

メーカー純正以外の部品でBW-239を修理する試みは積極的に行われており、中には撃墜した敵I-153の残骸から回収したM63エンジンを利用して修理された機体もある。先のBW-365をはじめ、計5機に移植されたという。

おわりに

さて、太平洋で苦汁を舐め、北欧の地で見事な捲土重来を果たしたF2Aだったが、どうしてそんなに強かったのだろうか?

それには性能の差を埋める要素がいくつもあった。

ソ連空軍は低高度での作戦が主で、空気密度が濃くて抵抗も大きくなる低空では、絶対的な性能差はあまり問題にならなかった。2000馬力に迫るような高出力エンジンでは特性を生かせず、かえって燃費の悪さが際立ってしまうものなのだ。上記のような例はもちろんだが、それこそ真珠のように大切に扱われ、勇敢なパイロットにも恵まれたのが原因だろう。

だが何よりも、バッファローの目の前で赤旗を振ったからではないだろうか?

どっとはらい。

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