1995年に韓國プロ野球のヘテ・タイガースに入団。中日ドラゴンズに入団した宣銅烈の後を継ぎクローザーとして活躍。1998年には最優秀救援投手のタイトルに輝く。そのオフに三星ライオンズにトレード移籍。1999年は最優秀防御率のタイトルを獲得している。
2000年にはシドニーオリンピック野球韓国代表として銅メダルを獲得している。
2002年には17勝を挙げ、海外移籍を目指したが交渉不成立に終わり残留。2004年には東北楽天ゴールデンイーグルス、福岡ソフトバンクホークスとの契約を目指したものの失敗。翌年以降は登板過多による右ひじ故障に苦しみ、2007年に自由契約になるまで活躍できなかった。
2008年に東京ヤクルトスワローズに入団。昨年オフに退団した高津臣吾の後を継ぎクローザーとして復活を遂げる。
2009年にはWBC韓国代表のクローザーとして活躍。決勝でイチローに勝ち越しの2点タイムリーを浴び、日本の2連覇を許してしまった。
2010年オフには契約更改でもめたものの、再び2年契約を結んでいる。
2012年はケガで外国人枠争いに敗れ、出場機会が限られた。オフに退団し、シカゴ・カブス傘下のマイナー球団と契約した。
2014年、カブスから放出、三星に復帰。
2015年11月、マカオにおける不法賭博などの容疑で韓国検察に呼ばれ認めたため退団。
12月には略式起訴され罰金と韓国プロ野球で一軍・二軍ともに公式戦の半分に相当する試合数の出場停止処分を受ける決定を受ける。