生涯
1929年~1968年。フルネームは「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」。
アメリカ合衆国ジョージア州のプロテスタントの黒人牧師の家に生まれ、幼い頃から白人による黒人への人種差別に接していた。大学卒業後に神学校で牧師となり、博士号も取得。大学在学中に生涯の伴侶、コレッタと出会い結婚に至った。
1954年からアラバマ州モンゴメリーで牧師を務めていたが、1955年にローザ・パークス逮捕事件が起こる。独立以来アメリカでの人種差別は一般的状態で、白人中心社会が作られ、白人以外の人種は公共機関の使用も区別や制限が普通に広まっていた。そんな中で、バスの白人席に座っていたローザは運転手から立つように命ぜられたがこれを拒否したため彼女は警察に逮捕された。この事件にキングはバスボイコット運動を展開して抗議し、裁判所は差別を違法だと認めた。
キングはマハトマ・ガンディーの「非暴力不服従」の思想に啓蒙され、この思想の元に人種差別を法的に失くそうと公民権運動を展開。アラバマ州バーミングハムでは、白人達の警察から鎮圧のために警察犬や高圧放水を受けても、キングたちデモ参加者達は暴力で反撃しなかった。この様子が国内外に広く報道されて、キングへの称賛と州政府や人種差別への批判が強まった。
1963年にワシントンD.C.での20万人に及ぶデモ行進では有名な「I Hava a Dream」の演説がされ、ジョン・F・ケネディ大統領はキングをホワイトハウスへ招き、1964年にジョンソン政権下で公民権法が成立した。この年にキングはノーベル平和賞が授与された。
ベトナム戦争に対しても反戦運動を展開したが、1968年にモーテルで暗殺されてしまう。
その他
キングの功績はアメリカ史上有数の偉人に数えられ、彼の誕生日1月15日に近い日がキングを称える祝日になっている。
必ずしも黒人社会全体がキングを支持していたわけではなく、マルコムXのような暴力で白人社会に抵抗しようとする動きもあり、黒人側からも批判は多かった。
公民権が作られたとは言え、人種差別は21世紀になっても根強く続き、現在でもキングの思想を否定する論調も多い。
そんな中で2008年に黒人であるバラク・オバマがアメリカ史上初めて黒人大統領として就任した。