人となり
ポジションは二塁手だった。
神奈川県の出身。県立湘南高校在学中に高校野球選手権大会に出場、優勝したことがある。
その県立湘南高校から慶應義塾大学に進学、東京六大学野球のスターとして注目を集めた(けど割とすぐにあの人に取って代わられちゃったけど・・・・・・・・・)。特に対早稲田大学戦に強かった。
1956年に大学を卒業するが、その後は社会人野球チームの東洋高圧北海道(砂川市に存在した。なお会社そのものはなんだかんだあって現在の三井化学および北海道三井化学)に行くはずだったが、どこでどう間違えたのか高橋ユニオンズに入団。ルーキーながら全156試合、1イニングも休まずに出場するという、何とも信じがたい記録をやらかしてしまった。さらにベストナインにも選ばれている。
だがユニオンズはわずか1年で大映スターズに吸収合併、そのスターズ改め大映ユニオンズも結局は毎日オリオンズと合併して大毎オリオンズとなるが、その度に出番が減ってしまう。
そして1959年のシーズン終了後に戦力外通告を喰らい、現役引退に追い込まれてしまう。
糊口をしのぐために日刊スポーツの嘱託社員となったあと、報知新聞に移籍、さらに1976年4月から1987年3月まで、「プロ野球ニュース」(あいつとそいつ除くフジテレビ系列。途中から日本テレビ系列約3局が加わるが、そのうちの1局が放送期間中にテレビ朝日系列にネットチェンジ)のメインキャスターを務めた。
また、「がんばれ!!タブチくん!!」のアニメ映画版や「プロ野球を10倍楽しく見る方法」(江本孟紀によるプロ野球ネタ本)のアニメパートにも「出演」している。
ネタ
日本プロ野球史上最弱にして最恐かつ最凶かつ最狂、そして最驚のネタ球団として悪名高い高橋ユニオンズにうっかり関わった結果、変なところでエピソードを残してしまった。
- キャンプに来た時、大学時代の方がまだまとも、と言いたくなるほどのレベルの低さに困惑、「確実にレギュラー取れるわ」と思ってしまう。
- キャンプ中に習慣として素振りをやっていたら、先輩達に「遊びに行かない?」と誘われ、流石に断ったものの、結局最終日まで自分しか素振りをしなかった。
- ある雑誌のキャンプレポートに「佐々木が入ったおかげで高橋はようやくまともにダブルプレーが取れる様になった」と書かれてしまった。今までダブルプレーひとつまともに取れなかったのかこのチームは!?
- 自分のエラーが原因でサヨナラ負けを喰らってしまい、落ち込んでいたところ、主力選手であったセンターの石川進(1932-2004、1度アマ復帰後、大毎や阪急でスーパーサブとして重宝され、1969年シーズンまで活躍)とライトの兵頭冽(1934-、球団解散前に近鉄に移籍したが1958年に現役引退)に「お前大丈夫か?」とばかりに肩を抱きかかえてもらってベンチに戻った。さらにベンチにいた先輩達から励まされまくり、うっかり「俺良いチームに入ったなあ」と思ってしまう。もちろん野球評論家に転職してよそのチームをよく知る様になると、「それじゃダメなんだよね」と痛感する様になるが。
- 大毎をクビにされてしまい、意気消沈しながら嫁に電話をかけたところ、「毎日家にいてくれるんですね」と喜ばれてしまった。旦那の将来ちったあ心配しろよ嫁。