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概要編集

1949年12月創刊。前身は1872年に創刊された一般紙の報知新聞で、正式名称はこちらを使っている。


読売新聞傘下のため、読売ジャイアンツ(巨人)関連の記事が多く(後述)、他には日本人選手が活躍するメジャーリーグや国内外サッカーの報道、芸能、社会ニュースなど多岐にわたる紙面展開をしている。

一方、地方版にも力を入れており、各地域のスポーツの話題を発信している(ちなみに親会社まで強敵とも言える日刊スポーツも同傾向にある)。また、在京スポーツ紙の中で唯一、いわゆる「アダルト面(エロネタ・アダルト広告)」を駅売り、宅配版共に廃止したことでも知られる。

ただし、(関東・東北・甲信越および静岡県以外の)地方展開はどちらかというと遅く、関西(および四国、山口県を除く中国、さらには福井県+石川県富山県)進出は1964年だった。その後1970年に北海道、1979年には東海3県に進出した。そして九州および山口県に進出したのは、1998年だった。なお、富山県および石川県については、1997年に東京本社版に切り替えている。


巨人の機関紙編集

先述の通り巨人関連の記事が多いうえ、その内容が巨人寄りでプロ野球ファンの間では、「巨人の機関紙」と認識されている。基本的に巨人にとってイメージの悪い事件が起きた場合でもフロントや親会社の読売新聞に沿った擁護・反論を行なう大本営発表をする場合が多く、また実態とは異なる捏造・美化した報道を行なうこともある。


以下、親会社の読売新聞を含めた事例を列挙する。

  • 1969年の日本シリーズ第4戦、巨人の土井正三がホームスチールを仕掛け、阪急ブレーブスの捕手である岡村浩二が完全のブロックしたと思われたが、球審の岡田功がセーフの判定をし、阪急だけでなく日本中が岡田を誤審と責め立てた。しかし翌日のスポーツ新聞の朝刊には土井の左足が岡村の両足の間をかいくぐり本塁を踏んでいる瞬間が掲載され、晴れて岡田のジャッジが正当だったことが証明された。
  • 1973年に起きた湯口事件の時は他の報道機関が巨人批判を展開する中、報知は湯口が死亡したことだけを伝え、その後は一切この件に触れていない。
  • 1978年に起きた江川事件の時もドラフトの盲点を突いた空白の一日の正当性を主張し、認められずドラフト会議を欠席した際はNPBの姿勢を批判している。
  • 1980年の長嶋茂雄が監督を解任された時も当時の読売新聞社社長で長嶋解任を決断した務臺光雄の意向に沿った記事を掲載。これに対し徳光和夫が系列の日本テレビで放送されていた「ズームイン!!朝!」で26分にわたって務臺や読売新聞を批判し、ついには読売新聞とスポーツ報知の購読を辞める発言まで行っている。
  • 1989年の日本シリーズで巨人が近鉄に3連敗すると第3戦で勝利投手になった近鉄の加藤哲郎投手に対して記者が「巨人はロッテより弱いんじゃ」と尋ね、加藤が肯定ともとれる回答をしたところ、翌日の記事で「(加藤が)巨人はロッテより弱い(と言っていた)」と大々的に報じ、結果巨人が奮起して4連勝で逆転日本一になったとされる。(なお、加藤は「巨人はロッテより弱い」という発言そのものはしていない。)
  • 1994年に槙原寛己完全試合を達成した時後に読売新聞社の名で出版した『巨人軍5000勝の記憶』では熱心なファンに呼び出されて激励を受けて奮起したと記載されているが、槙原本人は中洲へ遊びに行ったら門限を破ってしまい、当時の投手コーチに謹慎を言い渡されたところ「次の試合完封するので許してください」と頼み奮起した結果であると述べている。


余談編集

このスポーツ報知が九州および山口県に進出するまでは、該当地域での読売新聞販売店では、九州スポーツとか言う、スポーツも扱うゴシップ・アダルト紙の宅配を行っていた。アレは一応朝刊のスタイルを取ってはいたのだが、いくら傘下のスポーツ紙を扱えないからって・・・。


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