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概要

初期

1952年9月名古屋駅大阪駅間に蒸気機関車の牽引する無名の準急が設定された。この列車、下りは名古屋駅を出発し、大阪駅に到着。

上りは夕方大阪駅を出発し名古屋駅に到着するサラリーマンにうってつけの列車だった。

1957年10月に、この愛称無し準急東海道本線電化に遅れること1年ついに名称を付けられ更に80系により電車化された。これが「比叡」の始まりである。

運転区間は1往復が神戸駅まで延長され、1日3往復体制となった。編成は食堂車を含む堂々の10両編成であった。

発展期

衰退期

食堂車

当時東海道本線を走る急行や準急の食堂車ではなんと寿司が販売されていた。食堂車内に暖簾を掛け、更に寿司職人を添乗させて販売していた。

当時、まぐろは一貫20円、タコとこはだは一貫15円だった。この値段は現在の価格に直すと一貫あたり大体250円~300円位。

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