概要
初期
1952年9月名古屋駅~大阪駅間に蒸気機関車の牽引する無名の準急が設定された。この列車、下りは朝に名古屋駅を出発し、昼に大阪駅に到着。
上りは夕方に大阪駅を出発し夜に名古屋駅に到着するサラリーマンにうってつけの列車だった。
1957年10月に、この愛称無し準急は東海道本線電化に遅れること1年ついに名称を付けられ更に80系により電車化された。これが「比叡」の始まりである。
運転区間は1往復が神戸駅まで延長され、1日3往復体制となった。
編成は食堂車を含む堂堂10両編成であった。
発展期
1959年4月からは153系への置き換えが始まり同年6月20日には完了した。
1959年の時点では神戸駅までが1往復、大阪駅までが3往復であり、最短2時間30分で結んでいる。
1961年10月からは名古屋駅~大阪駅間は10往復まで増発されている。(神戸駅までの運用は伊吹が担当)
1963年10月改正ではあまりの混雑のため165系2両を全列車の神戸方に増結した。
衰退期
1964年10月改正は東海道新幹線が開業したため2往復が廃止された。
1966年3月からは国鉄の「走行距離101km以上は全て急行とする」という方針転換により急行へと格上げされた。
1968年10月改正からは153系統一の10両編成へと減車された。
1972年3月ダイヤ改正では2往復、8両編成にまで衰退した。
1982年11月ダイヤ改正から使用車種が全車165系に変更となった。
食堂車
当時東海道本線を走る急行や準急の食堂車ではなんと寿司が販売されていた。
食堂車内に暖簾を掛け、更に寿司職人を添乗させて販売していた。
当時、まぐろは一貫20円、タコとこはだは一貫15円(補足参照)だった。
補足
現在の価格に直すと一貫あたり大体250円~300円位。