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マレー作戦の編集履歴

2017-12-31 22:29:25 バージョン

マレー作戦

まれーさくせん

マレー作戦とは、大東亜戦争における日本軍のイギリス植民地マレー半島及びシンガポールの攻略作戦である。

交戦勢力

概要

大東亜戦争における、大日本帝国陸軍による当時イギリス植民地であったマレー半島及びシンガポールの攻略作戦であり、『馬来作戦』とも呼ばれ、日本側の作戦名は『E作戦』だった。この戦いが、後のマレーシアシンガポールの独立に繋がっていく。


詳細

交渉決裂と進軍準備

日米交渉にかけた日本アメリカ合衆国との和平への最後の努力は、アメリカ政府が突きつけてきたハルノートによって潰え、これにより日本の対英米開戦はやむを得なくされた。

そうして1941年12月4日の早朝、17隻の輸送船に乗り込んだ山下奉文将軍が率いる陸軍第25軍は、小沢治三郎海軍中将の南遣艦隊に護衛されながら海南島を出発、その内の14隻はタイ領南部のシンゴラとパタニを目指し、3隻と軽巡洋艦川内基幹の第3水雷戦隊がイギリス領マレーの東岸コタバルに舵をとった。


三手に分かれ上陸

コタバル

この部隊は、いち早くマレー北部に点在するイギリス軍の航空基地を奪取し、航空機による敵の対地攻撃を不可能にし、海軍機より航続距離の短い陸軍戦闘機の足場確保を任務としていた。

同月8日の日本時間午前1時35分に、コタバルのサバク海岸沖合で上陸用舟艇に乗り込んだ侘美浩少将率いる侘美支隊約6000人の将兵が、加藤建夫陸軍中佐が率いる加藤隼戦闘隊による一式戦闘機7機の護衛の下、夜陰に紛れて上陸地点の海岸を目座して突進を開始し強襲上陸、同午前2時15分から戦闘が開始された。

予想外の激しい抵抗を受け、イギリス空軍も出撃し3隻の輸送船の内の一つ淡路山丸が攻撃を受けて炎上沈没し、大東亜戦争に於ける最初の被撃沈となった。残った綾戸山丸佐倉丸も被弾し、船団は一時退避を余儀なくされるなど、苦戦しながらも強襲作戦は成功し、1月3日までに東海岸の要衝クアンタンを制圧し、第25軍の主力と合流した。


シンゴラ・パタニ

タイ軍警との小競り合いと協力

その頃にタイのシンゴラに向かった船団も到着して上陸を開始。当時の東南アジアで唯一の独立国で、親日的なタイに対し日本は攻撃意図は全く無く通過を申し入れるのみであった。

その際に中立を守ろうとするタイ軍警との間で一部小競り合いが起こったが、プレーク・ピブーンソンクラーム首相と坪上貞二駐タイ大使との間で日泰攻守同盟条約(日泰同盟)が結ばれ軍警に日本に協力するよう指令が出たことで治まり、イギリス領マレーとの国境を目指して進軍した。


ジットラ・ライン突破戦

日本陸軍はイギリスがタイとの国境に築いた強力な防衛陣地ジットラ・ラインを突破するため、本来は湿地帯であり構築段階での工事は難航し、工事を請け負っていたタイ政府も半ば匙を投げかけていたことに目をつけ、山下将軍と同じく「マレーの虎」の異名で名をはせていた義賊ハリマオこと谷豊と、彼を引き入れた日本陸軍諜報員の神本利男をジットラ・ラインに潜入させた。

谷が仲間とともに陣地やその周辺の測量を行い地図を作成し、神本がそのデータをタイ王国の公使館附武官である田村浩大佐を通じて本国へと送り、更に築城工事を遅らせるためにセメントを盗んで沼地に沈めたり、建設機械を故障させるなど妨害工作を行った。

その後、河村参郎旅団長は敵情捜索を兼ねた先鋒部隊として、佐伯静雄中佐率いる佐伯挺進隊581名が国境付近を捜索、その後になんとこの僅かな手勢で国境を越え、敵中突破を試みた。


奮戦と突破

まず国境から十数km入ったところにある関門であるチャンルンを、イギリス軍との戦闘や妨害工作に遭いながらも奮戦して突破、そのままケダー州に入り州都アロールスターに迫り次の陣地を突破しようとするが、斥候のミスで敵情判断を誤って敵の堅陣と地雷原に阻まれ、佐伯挺進隊はあわや全滅の危機に陥った。

しかし危ういところで急追してきた味方の岡部連隊が追いついて敵の背後に回り込み、戦況は互角となる。その後日が傾き夜襲の準備にかかろうとした際に敵が退却を始めたことからそのまま間髪を入れずに攻撃し、遂に難攻不落のジットラ・ラインを突破する。

当初は、一個師団(兵力約2万)全力をもって攻撃しても、突破に3ヵ月はかかると言われたジットラ・ラインをなんと僅か15時間で攻略し、遂に州都アロールスターの占領に成功、タイのシンゴラ上陸からまだ4日しか経っていなかった。敵軍は逃げ出す際によほど慌てていたようで、兵舎の食卓には温かいスープがそのまま並んだままで、市内の軍事施設も破壊する時間も無かったことから殆どが綺麗に残っており、膨大な軍需品が日本軍の手に落ちた。


パタニ上陸部隊の動き

一方でパタニに上陸した安藤支隊は、国境の町ベトンを超えてイギリス領マレーに入り、ペラク河上流の橋を確保し第5師団主力と合流するため、クアラカンサルを目指しマレー半島を西南に横断。鬱蒼たる密林の悪路を毒蛇や蛭と戦いながら山脈を越え、なんとか22日にクアラカンサルに入城したが、この直前に主の橋が全て敵軍に爆破されてしまう。

しかし、ここにバンコクから陸路でマレー半島を南下してきた近衛師団が到着・合流し、すでにタイピンを占領していた第5師団主力合わさり勢いづいた日本陸軍は、舟艇による敵前渡河を決行し見事に成功。近衛師団を先鋒として対岸の要衝都市イポーを占領した。


関連タグ

第二次世界大戦 大東亜戦争

日本軍 日本陸軍 イギリス軍

マレー 昭南島

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