概要
かつてはAtari2600のヒットでアメリカのゲーム業界を牽引する存在となったAtariだったが、アタリショック以降はゲーム業界での存在感を急速に失いつつあった。
据え置きゲーム機はAtari7800、携帯ゲーム機はAtariLynxを投入したものの、任天堂とセガの熾烈なシェア争いに追いつけず、据置機と携帯機の両方の市場で埋没した存在になっていった。
そんなAtariが起死回生を賭けて1993年11月23日に発売したのが『Atari Jaguar』である。
折しも当時は、セガが16ビットを強調してメガドライブを発売したことを切っ掛けにゲーム機の性能に関心を持つユーザーが増えており、対抗して任天堂も同じく16ビットのスーパーファミコンを発売したため、ゲーム機の性能を測る目安としてビットに注目が集まっていた。
そこでAtariはこのゲーム機が「64ビットシステム」であることを強調し、
本体にも「64-BIT INTERACTIVE MULTIMEDIA SYSTEM」の文字を記していた。
当時はまだ16ビットのスーパーファミコンとメガドライブが主役であり、一か月前に32ビットの3DOが発売されたばかりであった。
そんな最中に、64ビットのゲーム機が突如登場したのだ。スーパーファミコンとメガドライブの4倍であり、3DOの2倍。
計算のできる人ならば、これがどんなに凄い物なのかが分かるはずだと考えたAtariは、
全米で「Do the Math.(数学をしろ)」のスローガンを声高に叫んだ。
Atari7800から実に7年ぶりとなるAtariの据え置き新機種の登場であり、ユーザーは大いに期待し、競合他社は脅威に感じて身構えた。
仕様
しかし、Jaguarの実態はユーザーの期待や競合他社の憂慮を大きく下回るものだった。
性能
64ビットと宣伝されたゲーム機だが、実際は32ビットのチップ3基と、64ビットのプロセッサ2基が複雑に組み合わされており、はっきりとしたメインCPUが存在しないハードだった。
合計5つのプロセッサをそれぞれ並列処理しなければならない設計の為、ゲームソフトの開発は極めて困難なものになってしまい、リリースされたソフトは67タイトルに留まった。
複雑な設計故に性能が発揮されず、発売されたソフトも16ビット機で充分作れたようなゲームが大半だった。3Dポリゴンを扱うとすぐに処理が重くなり、レースゲームですら低速になりガクガクした動きになってしまい、ユーザーの目にはひどく低性能なものに映った。
JaguarのROMカートリッジの最大容量は6メガバイトであり、これは前世代機にあたるスーパーファミコンのカセット最大容量と同等だった。
コントローラー
Atari7800まで旧態然としたコントローラーを採用していたが、Jaguarになってようやく当時の主流であるゲームパッドに歩み寄りを見せた。だが、同時にAtari5200時代の主流に回帰してしまった面もあった。コントローラーの下側にあるテンキーがそれである。テンキーにはゲームソフト付属のオーバーレイを被せることで用途が分かりやすくなるのだが、言うまでも無く普通にコントローラーを持った場合はテンキーなんて押しにくくて仕方が無い。
しかし、このコントローラーの真の問題点は接続端子だった。端子が非常にゆるく、ちょっとしたことで本体からすっぽ抜けてしまうのだ。「ネズミが家のどこかで屁をこいたら抜け落ちる」とまで評された。
カセットの挿入口
通常のカセット式ゲーム機は挿入口に埃などを防ぐためのカバーが付いているのだが、何とJaguarにはそれが無く、挿入口がむき出しになっているのだ。
10年前に発売されたファミコンには当然カバーが付いており、ファミコンよりも更に古いカセットビジョンやチャンネルFにすら付いていたにも関わらず、である。
拡張機器
1995年9月21日に拡張機器として『Atari Jaguar CD』が発売された。当時の価格は149.95ドル。これをJaguar本体上部に接続することでCD-ROMのゲームソフトがプレイできるようになるのだ。JaguarCDの背面にはカセットのスロットも付いており、JaguarCDを取り付けたままの状態でカセットとCDの両方のゲームソフトをプレイすることができた。
しかし、Jaguarのカセットソフトすら一向に増えない状況ではJaguarCDのソフトが揃う筈も無く、僅か15タイトルしかリリースされなかった。
その上JaguarCDは故障率が高く、カセットもCDもロクにプレイできないことが大半だった。
発売後
Atari Jaguarの全世界累計販売台数はたったの25万台に留まり、売れなかったゲーム機のワースト3として悪名を轟かせてしまう。そのうち日本での売上はたったの3000台である。以後のAtariは四半世紀もの間ゲームハード事業から撤退し、ハズブロ社に身売りするなど迷走を極めた。
散々な仕様に散々な結果に終わったゲーム機だったが、当時のゲーム業界に与えた衝撃は大きかった。
その中でもセガは、開発中のセガサターンが現行機のメガドライブと比べて価格差が大きかったため、その間隙をJaguarに奪われることを危惧して急遽スーパー32Xを投入した。
Jaguarに反応して発売されたスーパー32Xは結果的にセガのブランドに大ダメージを与えてしまい、後継機種の苦戦とそれに伴うセガのゲームハード事業からの撤退を招いてしまう。
見方によっては、Jaguarはセガを道連れにしたゲーム機と言えるのかも知れない。
関連タグ
Atari Atari2600 Atari5200 Atari7800 AtariLynx