概要
福島県会津若松市に存在する城で、別名「鶴ヶ城」(地元民はこちらの名前で呼ぶ)。
歴史
葦名氏が弘和4年・永徳4年(1384年)に黒川城(東黒川館)として築城。
その後戦国時代まで葦名氏が城主をつとめるが天正17年(1589年)、伊達政宗によって葦名氏は滅ぼされ会津は伊達家に支配される。
しかし政宗は豊臣秀吉に臣従したため黒川城は没収。蒲生氏郷が新たな城主となった。
蒲生氏郷は名を若松城と改め近代城郭として改修を行う事となる。
この時完成した天守が望楼型、7重と呼ばれる超巨大天守であったが、慶長16年(1611年)の会津地震で倒壊、「幻の天守」とも言われている。
。江戸時代には層塔型5重天守として新たに再建されている。
氏郷の死後、子の秀行が後を継いだが、慶長3年(1598年)、御家騒動を機に宇都宮に減転封、上杉景勝が120万石で入封したが、慶長5年(1600年)に起きた関ヶ原の戦いにより出羽米沢30万石に減らされ、転封を余儀なくされた。
その後、豊臣恩顧の加藤嘉明が40万石で入封したが子の明成が改易、3代将軍・徳川家光の異母弟・保科正之が入封され幕末に至った。
幕末の戊辰戦争ではは会津若松城は1か月持ちこたえたと言われており、新政府軍の砲撃に文字通り蜂の巣になった写真が残されている。
現在の天守は昭和40年(1965年)に鉄筋コンクリートによって外観復興されたものであり、平成23年(2011年)には瓦が明治以前の赤い瓦に葺き替えられた。
pixivでは、御城プロジェクト:REおよび城姫クエスト関連のイラストが殆どである。
関連タグ
外部リンク
Wikipediaでは「若松城」として表されている。