愛称は新井さん。
概要
広島県広島市出身。ポジションは一塁手及び三塁手。
駒澤大学から1998年にドラフト6位で広島東洋カープへ入団し、主砲として活躍。2007年のシーズンオフにFAで阪神タイガースに移籍したが、2015年のシーズンからカープに復帰した。
2005年には本塁打王を、2011年には打点王を獲得しているスラッガーであるが、「併殺が多く、チャンスに頼りない選手」のイメージで語られることもある。
広島東洋カープ時代(入団からFA移籍まで)
1年目の99年から一軍メンバーに加わり、7本塁打を打つ活躍を見せた。
以後、カープの主力打者として台頭して2003年には阪神に移籍した金本知憲の代わりにカープの四番打者となるが、03・04年は低迷した。
しかし、2005年には打率.305打点94にホームラン43本を打って本塁打王を獲得、名実共にカープの主砲として君臨した。
06・07年も活躍したが、「アニキ」こと金本知憲を慕い、2008年に阪神タイガースへFA移籍。その記者会見での発言「辛いです」は名言とされている。
阪神タイガース時代
移籍1年目の2008年シーズンから阪神の主軸を担い、北京オリンピックにも参加したが腰痛の影響により芳しい成績は挙げられなかった。
しかし、2009年から2011年までの三年間はフル出場を果たして2011年に打点王を獲得した。
広島東洋カープ時代(復帰後)
2015年のシーズン開幕戦、新井は代打で復帰後初の打席を迎える。「罵声やブーイングのなかでのプレーを覚悟していた」という彼は、本拠地マツダスタジアムの観客に地鳴りのような新井コールと温かい大歓声を送られた。
シーズン終了後、新井はこの打席を振り返り、「(打てなくて悔しかったものの)生涯忘れられない打席」と語っている。
2016年4月26日、東京ヤクルトスワローズ戦、二打席目で先発の成瀬から二塁打を打ちプロ野球史上47人目の2000本安打を達成。
8月2日、同じくヤクルト戦の一打席目で石川から史上42人目となる300号ホームランを打った。
9月10日、広島が25年ぶりに優勝し、勝利投手となった黒田博樹と涙で抱き合い喜びを分かち合った。その後、チームの主柱としての活躍が評価され、セ・リーグMVPに選ばれた。
その後も2017年、2018年と広島でプレーを続けていたが、2018年9月5日に記者会見を開き、今シーズン限りでの現役引退を発表した。引退を決意した理由は「若手がすごく力をつけてきていますし、これからの2年後3年後、5年後のカープのことを考えた時に、今年がいいのではないかと考えました。」と会見にて語った。
キーワード
辛いです
上述の通りFA時の記者会見で発せられた言葉。これにより「辛いさん」というニックネームが誕生した。他にも「カープが好きだから」「FAなんてなければよかったのに」などと話しているが、金本の名前を口に出すと迷惑がかかるとしてこのような表現になったらしい。
ツラゲ
「辛いさんのゲッツー(併殺)」を略したもの。記録上の併殺打以外でも新井さん絡みでアウト二つが発生(通称・変則ツラゲ)するとこう呼ばれる(一例をあげると、ダブルプレー崩れでランナーが新井さんに入れ替わる(1アウト)→仕掛けたヒットエンドランを打者が空振りして新井さんが盗塁死(2アウト)など)。
トリプルプレーの場合は「トリプルツレー」とも。
また派生語として、どう見てもベースに全く届かないヘッドスライディングを意味する「ヘッドツライディング」や、外角低めのスライダーを空振りして三振することを意味する「ツライダー」という言葉もある。
護摩行
毎年1月の自主トレ時期に石原慶幸とともに行っている精神鍛錬。燃え盛る炎の前でお経を唱える。かつて金本も行っていた。当然危険な修行であるが、新井さんの場合はネタ画像提供のイベントとして風物詩と化している。
25番という選手
新井さんの背番号。旧広島市民球場に書かれていた新井さんのサインを消されたときにカープファンの男性が新井さんのことをこう呼んでいた。なお、阪神時代も背番号は25だった。
2015年のカープ復帰時の背番号は28だったが、2015年オフの契約更改で背番号を25に戻すことが発表。「泣き泣き出て行った25番という選手」が正式に帰還した。
新井が悪い
2012年4月11日の広島阪神戦で、両チームがもみ合いになった時に飛ばされたヤジ。
ちなみに、この時の当事者は投手が福井優也投手、打者がクレイグ・ブラゼル選手で新井さんは全くの無関係なのだが、脈絡もなく飛ばされたこのヤジになんJ民が大爆笑。
とりあえず、何かが起こったら「新井が悪い」と新井さんに責任転嫁するネタが定着した。
関連タグ
アライさん:アライグマの擬人化キャラ。新井さんと名前が被ったことから、野球ネタをするアライさんの画像が見受けられる。→25番というフレンズ