概要
古代中国(春秋時代)の思想家・政治家。(紀元前551年~紀元前479年)
諱は丘。「孔子」は後世の尊称である。孔夫子と言う尊称の方が明、清の頃ヨーロッパへ広まり、「ST・CONFUCIUS」(セント・コンフキウスとかコンフューシャスとか)と言われた。
現在の山東省南部にあった魯国に生まれる。多分私生児で、呪術師(葬式とかの式次第をやったり雨乞いしたりする)の家で生まれたらしい。後、役人の下っ端として物凄い苦労して、結構有能なマネをする。
なお師匠がこういう風で、他の弟子も、技術を持ってからこの夫子へ師事するため、「実学はデフォ」だったらしいのだが、論語の成立と儒教のイデオロギー化により、実学が軽視されるようになる。
同国に仕官し昇進したが政争により一時亡命し当時の中国の西から東を行ったり来たりした。帰国後は弟子の教育と古典研究・整理に専念した。
就活は過激で、論語によれば「テロリストとかクーデター興した人とか」が宰相として使ってやる旨のラヴコール送るのにホイホイ行こうとしていた。(その史実が見られないことから、多分弟子が拳で止めたと思われる)
その言行が「論語」にまとめられ、儒教を体系化し諸子百家のうちの「儒家」のもととなる。儒教は「うちの弟子は南面させていい」「絶対的な天が一番偉い」というすごい危険思想で、後普通にうざいので、為政者の受けは極端に悪かったが、前漢時代(ジョセフ・ニーダムは、この辺りの人民がクロスボウで武装する為に懐柔する対策を取った説をとる)、国の公式イデオロギーとなり、以後中国思想の中核をなすこととなった。
子孫は歴代中国王朝からも厚遇され、21世紀の現在まで連綿と続いている。孔子の末裔の一族(孔家)の総数は200万人に達し、世界で最も長く続く家系である。
なお、実は身長9尺5寸、約216㎝の超巨漢だったと伝わっており、「長人」というあだ名もあったらしい。
余談
1995年、白亜紀の地層から発見された鳥(羽毛恐竜ではなく完全な鳥)に「聖賢孔子鳥(コンシフオルニス)」の名が与えられたことでも有名。
食生活
食事には非常にこだわりがあった。玄米より白米を食べ、生肉は膾、腐臭がし酸っぱい味がする肉には箸をつけず丁寧に調理されたもの(腕と食材への知識が確かな料理人の証)だけを食べた。
端的に言うと消化器官と衛生面に気を使っていたことになる。これは、医学薬学が未発達であった孔子の時代、胃腸炎、寄生虫や細菌等で命を落とす者が大変多かったためである。