それでも地球は回っている
概要
イタリア出身の科学者。ユリウス暦1564年2月15日生まれ、グレゴリオ暦1642年1月8日没。享年77歳。
振り子運動、落体の法則を発見し、凹レンズと凸レンズを組み合わせた高性能望遠鏡を開発して月のクレーターを発見した。
月の黒い部分を「海」と呼ぶのは、ガリレオが早とちりして「わーっ、月にも海があるのか!」と勘違いした故事に由来するものである。
また、前述の望遠鏡で木星の四大衛星を発見した。これにより、ガニメデ・カリスト・イオ・エウロパの4つをガリレオ衛星と呼称する(ただし、発見当時はガリレオのスポンサーだったメディチ家にゴマをするため「メディチ星」として発表した)。
しかし、太陽黒点の動きや金星の満ち欠けなどを発見したガリレオは、コペルニクスの地動説を支持しているとしてローマ教会に捕縛され、「天動説を認めろ、な」(後ろで槍構えながら)と言われてしまう。
ココでかの有名な台詞を…
「いやいやそんなことないじゃないッスかアハハ。地球が太陽の周り回ってるわけないですって、ね?」
…言わなかったのである。言えば、殺されることは分かっていたからだ。
現に彼と同じく地動説を擁護して裁判にかけられた哲学者で修道士でもあるジョルダーノ・ブルーノは、自説を絶対に曲げなかったため処刑されている。
ちなみに死刑宣告を受けたた際のブルーノの反応はガリレオとは逆で、
「判決を受けたわたしより、判決を下したあなた方のほうが震えている」
と語ったという。
結局裁判により、ガリレオは地動説を一切主張しないと制約を押された上、軟禁されることとなった。
彼が「それでも地球は回っている」と言ったのは、現在では晩年に遺した言葉だとする説が有力である。
この裁判が見直されたのは、その350年後であった。
その後、彼の名はイタリア海軍の潜水艦や、日本の音楽グループに用いられるようになった。
現代のガリレオ?
疑似科学や陰謀論を唱えている人間が周りから批判されると、自分をガリレオと同じであると自己投影する、あるいは支持者から評価される傾向にある。(最近のものでは小保方晴子などがその例である。)
しかしガリレオの場合筋の通った論理を作り明確な証拠を発見、提示をして地動説を主張した。そのため、根拠が薄弱な疑似科学と陰謀論を地動説と同じにするのは無理がある。
そもそもガリレオの時代は天動説に異を唱えると死刑になるような時代であり、言論、思想の自由が保障されている現代の日本とは全然違うものである。(実際日本ではトンデモ本が何冊も出版されている。)
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