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登場

1930年代頃から、レシプロエンジンとプロペラに代わる新しい推進装置として、ドイツイギリスなどでジェットエンジンの研究が進められていた。世界で初めて飛行したジェットエンジン機は、1939年に初飛行したハインケルHe178である。

その後、第二次大戦後期にかけて各国でP-80 シューティングスター(アメリカ)、Me262(ドイツ)、ミーティア(イギリス)などのジェット戦闘機が登場した(本格的な実用化は、Me262を例外として、戦後を待たねばならない)。

第一世代と初の実戦投入

第1世代ジェット戦闘機も参照。

ジェット戦闘機が本格的に実戦投入されたのは、朝鮮戦争からである。その頃のアメリカ空軍ではF4Uコルセアなど第二次世界大戦末期に採用されたレシプロ機が多く存在したが、格闘性能ではMiG-15と同等に渡り合うなどジェット戦闘機とレシプロ機の差が交錯した頃でもあった。ソ連の支援を受けた中国・朝鮮軍は迅速に後退翼のMiG-15を投入した。その後、連合軍の主力となったF-80「シューティングスター」やグロスター ミーティアなどの直線翼戦闘機であり、設計思想ではMiG-15の方が先進的であった。その後、これに対抗してアメリカ軍を中心とする連合軍も後退翼のF-86「セイバー」投入などを行った。

第二世代と超音速

第2世代ジェット戦闘機も参照。

その後も発展は続き、1950年代半ばにはF-100MiG-19が登場して時代はついに超音速戦闘機の時代となった。その後数年で最大速度はマッハ2の世界を切り拓き、レーダーも標準装備となっていく。主武装にはミサイルが幅広く採用されるようになる。ミサイルの射程にあわせ、それに見合うレーダーも高性能化も併せて進められていき、ここにレーダーも標準装備となっていくが、この頃はまだ複雑なので実用的な性能をもつものは複座機くらいに限られていた。

第三世代と戦闘爆撃機

第3世代ジェット戦闘機も参照。

戦闘機の高速化は続き、超音速を実現するパワーは搭載力にも生かされていくことになる。アメリカではこの頃、それは主に新兵器(核兵器)搭載のために使われ、こうして戦闘機は戦闘爆撃機としての性格を強めていく。武装に関しては第二世代型から正統進化を遂げ、中には軽量化を兼ねて固定武装(機関砲)を持たない機も登場している。ちなみにその間違いはベトナム戦争で明らかとなり、ここが第四世代ジェット戦闘機との境界となる。

第四世代と格闘戦

第4世代ジェット戦闘機も参照。

ミサイルを主武装とする戦闘機が、あろうことかミサイルの最低射程範囲以下で戦いを挑まれて敗北する』。この事実は世界の戦闘機開発に冷や水を浴びせる事となり、ここに戦闘機は再び視認距離での格闘戦闘を見直すこととなった。この頃には設計や操縦にコンピュータを導入するようになった。この頃の代表的な新技術はフライバイワイア(操縦補助コンピュータの導入)や可変翼前進翼で、これまでにない空力設計や機動を披露できるようになった。

中でもマグダネル・ダグラスF-15『イーグル』ゼネラル・エレクトロニクスF-16「ファイティングファルコン」は対照的な機で、片方は旧技術による設計の頂点をめざし、もう片方は新技術を積極的に取り入れた設計をしている。これ以降、総じて開発にはますます莫大な資金を求められるようになったため、中には新規開発を放棄した国も出始める。

第五世代とステルス性

※※第4.5世代ジェット戦闘機第5世代ジェット戦闘機も参照。

現在、世界の最先端となるのがこの第5世代型ジェット戦闘機である。第4世代の設計に加えてステルス性能やスーパーソニッククルーズ能力などが求められるようになり、開発はさらに高額・複雑になる。独自開発を行える国家は地球上にも数えるほどとなり、過剰性能であるとして導入を見送る国も多い。従って世代交代はあまり進んでおらず、第4世代に第5世代相当の電子機器を適用した第4.5世代ジェット戦闘機が未だ主流であるが、一対一の戦闘では第5世代の前には第4世代以前の戦闘機など空飛ぶ標的も同然(ただし、防空任務においては地上からの援護が期待できるため、その限りではない)なので、いずれは完全に交代されるものとされている。分野によっては無人機(UAV)に代替される風潮もあるが、現在のところは全くの白紙の国がほとんど。

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