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ルキウス・アルトリウス・カストゥスの編集履歴

2019-11-22 02:26:39 バージョン

ルキウス・アルトリウス・カストゥス

るきうすあるとりうすかすとぅす

2世紀の古代ローマの軍人。アーサー王のモデル候補の1人。

概要

古典ラテン語: Lucius Artorius Castus

帝政期古代ローマの軍人で後にダルマチア属州(現クロアチア)の行政長官を務めた。


ルキウス・アルトリウス・カストゥスに関する主な情報はクロアチア南部のスプリト−ダルマチア郡ポドストラナ(当時はローマ帝国ダルマチア属州の首都サロナだった場所)で発見された石棺による。また近年では彼自身が書いた時の皇帝コンモドゥス宛の手紙がアメリカ・メリーランド州ボルモチアのウォルターズ美術館で復元。トーマス・ブルックサイド氏によって「DE BELLO LEMURES」というタイトルで英訳、出版されている。


アルトリウス氏族の名前の由来はエトルリア語かメッサピア語由来とされている。この氏族名は歴史上はマイナーであるが何人かは元老院階級など貴族階級であることが確認されている。


経歴

石棺に書かれた彼の経歴は以下の通り

シリア属州に駐屯していた第三軍団ガッリカの百人隊長

第六軍団フェラッタ(地域・階級共に同じ)

パンノニア属州・アクインクム(現ハンガリーの首都ブタペスト)に駐屯する第二軍団アディウトリクス百人隊長

下モエシア属州(現ブルガリアルーマニア)に駐屯する第五軍団マケドニカ百人隊長後に筆頭百人隊長

ローマ海軍・ナポリ湾艦隊隊長

ブリタニア属州・エボラクム(現イングランド・ヨーク)に駐屯する第六軍団ウィクトリクスの隊長で二つの部隊を率いていた。


軍を退役後はダルマチア属州・リブルニアの行政長官となっている。


人物

第六軍団ウィクトリクス在籍時には同軍が待遇完全を求め当時のブリタニア属州総督のペルティナクスに対して何度も反乱を起こしたがカストゥスはローマへの忠誠を貫いて反乱には加わらなかった姿勢が評価された事でペルティナクスによって隊長(Dux)へ昇格し、後にアルモニカ(ガリア・ルグドゥネンシス属州の一部、現在のフランス・北ブルターニュ)へ遠征しその先で反乱の鎮圧に成功している。


サルマタイ人との関わり

当時は122年現在のスコットランドに住んでいたカレドニア人らへの防壁として建てられたハドリアヌスの長城の監視・警備を行なっており彼が率いた部隊の中にはイラン系(トルコ系・カザフ系説あり)半遊牧民族サルマタイ人の一派であるイアジュゲズ族もいた。


イアジュゲズ族はサルマタイ人の中でもドナウ川やドニエプル川に住んでいた民族だが175年にマルコマンニ戦争でマルクス・アウレリウス率いるローマ軍に敗北した事で8,000人の重装騎兵をローマ帝国へ送り、その内5,500人の重装騎兵がブリタニア属州での警備を任せられた。


彼等はブレメテンナクム・ウェテラウヌム(現イングランド・リブチェスター)に駐屯し、退役後もそこに住み続けたのか遺物も発見されている。


なお、イアジュゲズ族に対する勝利を決めた氷上のドナウ川での戦いにおける奇策はカストゥスが提案したものである可能性も考えられている(リンダ・A・マルカー氏はカストゥスがサルマタイ人やイアジュゲズ族に対して特別な知識があったのではないかと考えている)。



関連タグ

古代ローマ ローマ帝国 ローマ帝国軍


歴史 ローマ アーサー王

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