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末弘威麿の編集履歴

2019-12-29 08:23:25 バージョン

末弘威麿

すえひろたけまろ

末弘威麿とは明治時代の地方官僚。

概要

右大臣徳大寺公純の四男、兄に公爵徳大寺実則公爵内閣総理大臣西園寺公望伯爵中院通規、弟に男爵住友友純がいる。


生没年

万延元年5月24日(1860年7月12日) - 昭和2年(1927年)8月8日


経歴

西園寺公望の養子になったが、素行が悪くなり廃嫡となった。その後母方の家系の末弘家を継いだ。その後学問に励み、明治法律学校明治大学)にて学ぶ。後に茨城県の官僚に就任。更に朝日生命の監事に就任。1900年(明治33年)に京都法政学校(立命館大学)の会計監事に就任した。その後財団法人立命館の理事に就任。


系譜

東山天皇閑院宮直仁親王輔平政煕政通徳大寺公純末弘威麿


外部リンク

末弘威麿 - Wikipedia


関連タグ

徳大寺家 西園寺家 西園寺公望 明治大学 立命館大学

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