概要
1984年にMacintoshとともに登場し、GUIの普及に大きく貢献した。1987年のMacintosh IIの登場とともにカラー化。当時はまともなカラーマネジメント環境を持っていたほとんど唯一のコンピュータであり、この時からデザイナーの間でMacintoshが主流となる。
最後のバージョンはMac OS 9。2001年から2003年にかけて現行のOSXに置き換えられた。
OSXは技術的に直系ではないため、単にMac OSといった場合は概ねバージョン9までのClassic OSを指す。
変遷
System1
他のPCと異なり、1984年の発売当初からMac本体に必ずバンドルされた状態で販売された。当初は「統合環境としてのOS」の概念を導入しておらず、OSではなく単にSystem、あるいはSSW(System Soft Ware)の呼称で呼ばれていた。ToolBOXと呼ばれるOSの一部に当たる部分をROMで本体側に持っており、これにより(当時としては)高度なGUIを当時のハードウェア技術で可能にした。一方で、ファイルシステムは2DDフロッピーディスクやクイックディスクを前提にした簡素なものしか持っていなかった。
System3.1~System4
(当時としては)大容量のストレージに対応するため、Macで長く標準となるHFS(Hyper File System)を搭載。また、カラー化(初代Macはモノクロである)のため、カラーマネジメント技術のColor Syncを導入する。
また、日本版では2バイト文字(全角日本語文字)を扱うための漢字Talkが搭載された。これのサポートは日本国内での正規輸入販売のみ。
System6
それまでGUI環境であるFinderと別々のバージョン番号が振られていたが、このバージョンからメジャーバージョンナンバーを合わせることとし、5を欠番として6とした。このバージョンはCPUがMC68020以降を前提とした32bitシステムとなり、現在にも通じる24bitフルカラー環境を扱えるようになった。また、完全なマルチタスクではないが、複数のソフトを(メモリが許す限り)起動しっぱなしにしておける「疑似マルチタスク環境」となった。一方、一部のコードは過渡期的な措置で24bitという中途半端な命令長で書かれた。
同時に漢字Talkともバージョンナンバーが合わされ、漢字Talkも3~5を欠番として6.0に飛んだ。
後継のSystem7は2バイト文字に対応できない欠陥があり、この為アメリカ本国では発売されていない日本専用のバージョン6.0.71が急遽開発され、本来はSystem7を搭載して発売されている初期のPowerBookの日本向け輸出分に搭載された。
System7
過渡期的な24bitコードを廃し、(それでもまだ完全にではないが)クリーンな32bitシステムとなった。Macの先進性の象徴だった音楽・動画コーデックQuickTimeもこのバージョンから搭載された。24bitコードがOS本体から排除されたことで、理論上は最大4GBの大容量メモリを扱えるようになった(が、当時そんな容量のメモリは高価どころか存在すらしていなかった)。仮想メモリ機能が搭載され、HDDの一部をスワップメモリとして扱った。
一方で7用のWorldScriptの開発が間に合わず、前述の通り2バイト文字コードを扱えない欠陥があった。これは当時日本でデビューした東芝 DynaBookに対抗するため、急ぎAppleもノートブック型Macintoshを市場に投入する必要に迫られていたためである。
System7.1.x
7.1は7の改善型で2バイト文字コードの扱いを可能にし、漢字Talk7.1ではそれまでの「2.x変換」に変えて、日本のMacユーザーにお馴染みの傑作インプット・メソッドであることえりが搭載される。7.1.2はPowerPC用の最初のバージョンとなる。
System7.5~System7.5.3
この頃になると最初はAppleにとっては冗談みたいな代物だったWindowsがGUI環境提供ソフト(この当時のWindowsは完結したOSではなく、MS-DOS上で走るソフトの一種みたいなものだった)としてそれなりの機能を備えるようになってくる。そこでMacもFinderに、それまで外部プログラムに依っていた日付、時計、コントロールバーを標準搭載とし、作業環境としてのOSの機能を強化した。現在に通じるTCP/IPネットワーク機能もこの頃から標準搭載となった。
しかしこのためにメモリ消費量が急増し、爆弾アイコンやSad Mac(Macのアイコンの“目”が「××」になってしまう状態)を多発させる結果になった。
漢字Talk単独のアップデートは行われなかったため、バージョンナンバーは全く同一である。
Mac OS 7.5.5
Windowsへの対抗の次の一手として、当時のAppleはMacintosh互換機用のROMイメージとOSのライセンスを行うことにした(ハードウェアも部品単位でOEM供給した)。そのため統合型環境OSとしての面を強く押し出す必要があり、ここでようやく「Mac OS」の名前と、メイン画像にあるスマイルマークが起動画面に登場することになる。
一方、「漢字Talk」としては最後のバージョンとなった。
Mac OS 7.6~7.6.1
7.6からはワールドワイドユニバーサル環境となり、日本での販売名も「Mac OS」単独に統一された。理論上ストレージ容量が1論理ドライブあたり4TBまで可能となった(が例によってこの当時そんな大容量のストレージは以下略)。それ以外の点では7.5.xから大きくは変わっていないが、全体的に安定化が図られた。その代償として、FPUを内蔵しないMC68030までの環境は切り捨てられ、68kはMC68040系のみのサポートとなる(が、実はこれ、Apple自分で自分の首を絞めていたりする)。
よくMacer、特にWindows機からの乗り換え組が言う「Wind◯ws95があんまりにしょっちゅうフリーズするんで、叩き壊してMacを買ったってわけさ、おかげで仕事が捗るよHAHAHA!!」というイメージはこれ以降である。
自分で自分の首を絞めちゃった件
Appleは互換機戦略では、「ハイローミックス」の「ロー」を互換機に任せ、収益率の高い「ハイ」をAppleが供給することを構想していた。ところが、いざ供給を開始してみると各社こぞって発売したのはPowerPC搭載の高性能機だった。Appleが望んでいたような形の「MC68kかPowerPCでも601の低クロック版」を発売したのはお人好しの日本企業ぐらいという有様。しかも肝心のMacOSがほぼPowerPCを前提にしているのだから、そうなるのは自明の理だった。
更に、Apple自身のラインアップにもこの当時、普及型ミドルレンジの不在と言うAppleの慢性病が深刻な事態になっていた。これに関してはPowerMacintoshの項目に譲る。
結果、Appleは「エントリーラインへの自社製品の供給」と「ハイエンドラインでの価格競争」という二重苦を背負うことになり、売れば売るほど赤字という事態を招いてしまったのである。
この結果、当時のCEOだったマイケル・スピンドラーの首が飛んだ(社会的に)。
Mac OS 8~8.1
「Mac OS」として初のメジャーアップデートとなる8は、とうとう向こうの攻撃が直接当たるようになってきたWindows9xへの対抗策として、Web環境への対応、ToolBox開発以来引きずってきたモノトーンのイメージからの脱却、Finderの疑似マルチタスク対応の強化、などを図った。OSとしての基本性能はそれほど上がらなかったが、Windows同様デスクトップピクチャ(壁紙)をOS単体で設定できるようになり、見た目も重厚な感じのプラチナアピアランスを採用した。この基本イメージはClassic Mac OSの最後まで継承される。このMac OS 8をいち早く浸透させてMacのイメージ刷新を図るため、なんとAppleは「今Apple純正Macを買うとタダで最新OSをつけちゃうよキャンペーン」を実施。良くも悪くもまとまった性能を持ちほどほどの値段のPowerMacintosh7600/200、7300/180が(Macとしては)飛ぶように売れ、Appleの目論見は成功する。日本で一世を風靡したPowerBook2400シリーズもこの時期である。
8.1へのマイナーアップデートでは、大容量ストレージの効率的な処理を目的とした新ファイルシステムHFS+を搭載した。この8.1のアップデータはMac情報誌の付録として添付され、またそれほど大きいものではないのでナローバンドのWeb経由でも充分ダウンロードできた。
一方で、起動をMac本体側のToolBoxに頼る最後のバージョンとなった。ここでちょっと問題になるのが初代iMac(Rev.A)で、所謂New World ROMとなりToolBoxを持たないため、「Mac OS ROM」という専用のファイルをHDDに搭載して発売された。この為初代iMacにパッケージ版およびキャンペーン版の8を持っていっても起動できない。ということで些細な程度だったが混乱を招いた。
Mac OS 8.5~8.6
ついに68k Macへの対応が打ち切られ、FATバイナリ(68k用とPPC用両方のコードを含んだプログラム)からPowerPCネイティブに移行する。これにより充分な性能を持つPowerPC機では「な~んとなくもっさり」感がなくなり、明らかにシャキシャキ動くようになった。全般的にPowerPC向けにチューニングされたことで見栄えは更に良くなった。一方、統合型検索エンジンSherlockが搭載されたが……これはお相手様も後々何度かやらかすことで分かる通りまだちょっと早かった。また、New World ROM搭載機は基本的に8.5以降の対応である。マイナーアップデートの8.6は全体的なバランス修正だが、Old World ROMのPowerPC機には丁度いいバージョンとなった。
自分で自分の首を絞めるのをやめた件
この間にApple CEOは「破産管財人」とも呼ばれたギルバート・アメリオを経てスティーブ・ジョブズが就任する。実は彼、AppleのCEOになったのはこの時が初めて(Appleの創業者と言われがちだが、Apple創業時のCEOはマイク・マークラ)。ジョブズはCEOに就任すると互換機戦略がAppleの負担になっていると断じ、MacOS 8.6 を最後に互換機ライセンスの供給を止めることになった。それの判断自体は是非が問われるところだが、この決定から実行までの速度が極めて早かったためMac互換機メーカーがどの会社も少なくない額の開発費を吹っ飛ばすことになった為、アメリカ本国では一部で訴訟沙汰にもなったようだ。ちなみに日本のお人好し企業もこの頃ビジネス向けハイエンド機の開発をやっていたが、Appleの宣告を受けてとっとと放り投げ二度とパソコン事業に近寄らなかった(当たり前だ……)。
Mac OS 9~9.2.2
番号上は最後のメジャーアップデートとなる9は、どちらかと言うとOSXの準備バージョンの側面が強い。PowerPC版Classic Mac OS 標準のAPIに加え、OSXとClassic Mac OSの両方で扱えるAPI Carbonを搭載した。これが原因か、8.5に比べるとなんとなくもっさり感が復活してしまう。マイナーアップデートの9.1が最後のパッケージ販売・プリインストール版となった。9.2.1はOSX Ver10.1の付録としてついてきた。あれ? この構図なんか向こうさんと似ているような気が……9.1.xインストール済みのマシンにもアップデートが配布された(この頃になると、日本ではADSLの普及率が一定に達しており多少デカいファイルのダウンロードは問題とならなくなっていた)。更にマイナーアップデートの9.2.2は9.2.1用アップデータのみとなり、このバージョンを以てClassic Mac OSは約19年の歴史に幕を閉じた。
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