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日振型海防艦の編集履歴

2020-02-06 20:51:03 バージョン

日振型海防艦

ひぶりがたかいぼうかん

大日本帝国海軍の建造した海防艦のグループのひとつ。御蔵型海防艦の準同型艦で、艦艇類別等級別表上では御蔵型の一部として扱われる。

ブラウザゲーム『艦隊これくしょん』のキャラクター群については「日振型」を参照のこと。


概要

大日本帝国海軍により太平洋戦争中に南方航路の船団護衛向けに建造された海防艦。御蔵型の準同型艦であり、艦艇類別等級上は御蔵型として扱われている。同時期に建造された鵜来型(日振型と同じく御蔵型の準同型艦)とは艦形・性能ともに近い(基本計画番号もともにE20bで共通)ものの、後述する通り装備に差が見られる。


北方海域の海上警備用としての性格から脱却しきれなかった占守型択捉型に対して対空・対潜能力を強化して汎用性を高めた御蔵型であったが、それでも製造過程における工数が多く平均建造期間9ヶ月と量産性は必ずしも良くはなかった。そこで武装や外形寸法は極力そのままに、船体の曲面部分を平面多角形化するなど構造の大幅な簡略化を図った改良型を設計する事となった。これが日振型と鵜来型である。


この頃には貨物用の戦時標準船の建造経験などから、溶接の多用、二次曲線の省略、ブロック建造法など、工数省略のノウハウが蓄積されており、結果、日振型は御蔵型に比べて工数の約半数が削減され、平均建造期間も半分以下の4ヶ月にまで短縮された。ちなみに最短記録は7番艦の目斗(もくと)で、なんとたったの3ヶ月半(105日)である。


当時の日本では珍しく、全艦が日立造船桜島造船所で集中建造されている点も特筆される。つまり、全艦が同じ親から生まれた本当の姉妹艦である。

まあ、上には上がいて、あちら側には50人姉妹なんて大家族もいるのだが……


対潜・爆雷装備を大幅に強化した鵜来型と異なり、船体構造の簡略化を除けば、日振型の艤装・兵装は御蔵型と大差なく、艦尾には機雷掃海用の掃海具もそのまま搭載されていた。(艦艇類別等級では御蔵型と扱われているのもこのためである)

用兵側が依然として海防艦に“多用途艦”の性格を求め続けていた結果とも言われるが、当時の戦況では機雷掃海の機会はほとんどなく、後期には御蔵型と共に、掃海具一式を撤去して爆雷を増設した艦も多い。


戦歴と戦後

昭和19年6月竣工の1番艦・日振を皮切りに、遅れを取り戻すべく鵜来型ともども次々と建造されたが、時既に遅し。この時点でマリアナ沖海戦の敗北後という事もあり日本の制海権は大きく喪失し、海上交通網は正に“壊滅寸前”の状況であった。

11隻建造された日振型も、完成後に即実戦投入される厳しい戦いを強いられ、日振が完成後わずか2ヶ月足らずで戦没したほか、計4隻が戦没、2隻が未成となった。


就役時期の遅さもあって華々しい戦果には乏しいが、1945年6月26日、北海道へ向かう1624船団(宗谷、永観丸、神津丸)の護衛を行なっていた四阪が岩手県大釜崎沖でパラオ級潜水艦・パーチー(S-384)に深手を負わせていることが特筆される(宗谷、第51号駆潜艇との共同戦果)。四阪は撃沈したものと判断していたが、パーチは辛くも逃げ切っていた。ジャイロコンパスが壊れ、安全潜行深度を超えて沈下するなどかなりのピンチだったようだが


生き残った艦も多くが終戦後に解体されるなどしたが、中には巡視船として1960年代まで日本国内で活躍した艦や、賠償艦として他国に譲渡された後、紆余曲折を経て1990年まで現役だった艦もあったという。“戦時急造”ではあっても、決して“手抜き”や“粗製濫造”ではなかった証左とも言えるだろう。

ちなみに、前述の異国(中華民国中華人民共和国)の海軍で1990年まで現役を務めた艦とは四阪で、これも先述の戦果を含めて良運に恵まれている


同型艦

  1. 日振(ひぶり)
  2. 大東(だいとう)
  3. 昭南(しょうなん)
  4. 久米(くめ)
  5. 生名(いくな)
  6. 崎戸(さきと)
  7. 目斗(もくと)
  8. 四阪(しさか)
  9. 波太(はぶと)

関連項目

海防艦


おじか型巡視船海上保安庁にかつて存在した巡視船。本級1隻(「生名」改め「おじか」)及び鵜来型4隻を継承したものである。

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