ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

醍醐輝弘の編集履歴

2020-02-13 07:39:17 バージョン

醍醐輝弘

だいごてるひろ

醍醐輝弘とは江戸時代後期の公卿

概要

父は醍醐輝久、母は蜂須賀重善の娘(蜂須賀幸子)、鷹司政通従兄弟および義兄、官位は従一位、内大臣


プロフィール

時代江戸時代中期
生誕寛政3年4月27日(1791年5月29日
死没安政6年9月9日(1859年10月4日
官位従一位、内大臣
主君光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族醍醐家
父母父:醍醐輝久、母:蜂須賀幸子
兄弟輝弘隆生、信子
蜂須賀宗子、鷹司辰子
忠善忠順

経歴

寛政5年(1793年)に従五位下、寛政12年(1800年)に従三位、文化9年(1812年)に権中納言。文化12年(1815年)に権大納言に就任した。弘化4年(1847年)に内大臣したが翌年の嘉永元年(1848年)に辞任した。辞任後は従一位の位となった。


家族

輝弘は醍醐家を創始した醍醐冬基の子孫冬基の父は一条家を後継ぎした一条昭良で昭良は後陽成天皇の皇子で輝弘は後陽成天皇の男系子孫である。

系図

後陽成天皇一条昭良醍醐冬基醍醐冬熙醍醐経胤醍醐輝久醍醐輝弘

系譜

妻は蜂須賀至央の養女、宗子、継室は関白鷹司政煕の娘、辰子。


男子:醍醐忠善(生母は蜂須賀宗子)

男子:醍醐忠順(生母は鷹司辰子)


外部リンク

醍醐輝弘 - Wikipedia


関連項目

朝廷 公卿 醍醐家 一条家

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました