概説
瓊瓊杵尊が高天原から高千穂へ降る際、天照大神から下賜された神宝の一つに加わっている。
正体は国産み神話に登場する神器「天沼矛」であり、瓊瓊杵尊は高千穂峰に降り立つと鉾を山頂に突き立てて刺し、天上の神がこの国を支配した証として封印した。
実在する神器
宮崎県・鹿児島県の県境である霧島連峰の高千穂峰の山頂に、今も天逆鉾は突き刺さっている。
遅くとも奈良時代から既に記録に存在しており、いつここに刺さったのかは後述の奇縁もあって解明できず、日本三奇(平たく言えば「日本の三大ミステリー」)の一つに数えられている。
もっとも現物はレプリカ(言い換えれば「形代」)であり、オリジナルは柄だけが地面に埋められ、穂先は宮崎県都城市の荒武神社へと奉納されるも、さらに人手を転々と渡って現在では行方不明になってしまった。
そしてこの形代を語るうえで、坂本龍馬の名が浮上する。
龍馬が新婚旅行で妻のお龍と霧島へ湯治に出掛け、高千穂峰に登山してこの逆鉾を引っこ抜いてしまった話は良く知られるが、実はこれが原因の一端と思しき節がある。
坂本夫妻が去ったのち、この地は火山噴火で地震に見舞われ、その際に逆鉾の柄が折れてしまった。
これまで何度も地震はあっただろうし、そのままであれば問題なく、もしくもう少し後世で折れたのかもしれない。しかし逆鉾は何の因果か、龍馬に抜かれてのちの地震で柄を損じ、その後は穂先が行方知れずとなる憂き目に遭ってしまった。
単なる偶然でしかないが、後に日本維新の夜明けを見ずして斃れた龍馬に対し、後世では「逆鉾の祟り」と辛辣に見る人も少なからず存在する。オカルト研究家の中には、龍馬が熊本の豪族「熊襲一族」の生まれ変わりであり、その因縁で逆鉾に宿る神話の力を奪ったのだとする奇説を唱える人もいる。
神仏習合との関わり
逆鉾は天沼矛と同一であるのだが、現在では完全に同一視はされないとする傾向にある。
これは上古日本で誕生した山岳信仰と関わり、神仏習合の末に「大梵天王の化身である独鈷杵」として崇拝されていくことになる。
この解釈から逆鉾には退魔の神力が宿るとされ、その側面を表す「天魔反戈(アメノマガエシノホコ)」の別名が存在する。
また別の解釈では、逆鉾は「オノゴロ島に突き立てられた金剛杵である」とされる。
逆鉾の原形である天沼矛は、『日本書紀』では「天(之)瓊矛」と記載され、「瓊」は古代日本では宝石を意味し、仏教的な解釈から「金剛石」へと変換されると、金剛石は「金剛杵」に通じるとして「逆鉾≒金剛杵」の図式が形成された。
この場合の逆鉾を「金剛宝杵(こんごうほうしょ)」と呼ぶ。
こうした一連の流れは、中世の神道・仏教の親交の上で形成され、修験道や両道仏教等の神仏習合論の一環として浸透し、逆鉾を単に沼矛の別側面と語ることを好しとしない現状に繋がっている。