マーガレット・サッチャー (Margaret Hilda Thatcher)
1925年10月13日 - 2013年4月8日
イギリスの政治家で元首相。爵位は男爵。双子の一男一女の母でもある。
概要
食品雑貨商の家に生まれ、オックスフォード大学で化学を専攻。卒業後は企業研究員としてアイスクリームを研究。一方で経済学に関心を抱き、フリードリヒ・ハイエクの唱える「新自由主義」に傾倒。1950年に夫のデニスと結婚し、双子の子をもうけた。
1959年に二度目で保守党(イギリス)所属の庶民院(下院)議員に当選。党内では右派に属し、新自由主義政策を世界で初めて導入したチリの独裁者ピノチェトに心酔する。
1975年に保守党党首となり、1979年に第71代英国首相に就任。英国初の女性首相となった。
「ゆりかごから墓場まで」をスローガンとする高福祉政策・産業の国有化により国民の労働意欲が減退し「英国病」と揶揄されるまでになったインフレと高失業率に苦しむ英国経済を、新自由主義政策による再建、「小さな政府」を目指した。
冷戦に対してはアメリカと共にソ連と共産主義に対して反共姿勢を構えた。
1982年、アルゼンチンとフォークランド諸島を巡ってフォークランド紛争が勃発。任期最大の危機に直ちにイギリス軍を出動させ、2ヵ月後に英国勝利の下に終結させた。これにより支持率が急回復し、大胆な改革の推進が可能となる。「小さな政府」を掲げて新自由主義のもとに急進的で大胆な改革(小泉政権時の構造改革を過激化したようなもの)を繰り広げた。
サッチャーの新自由主義による改革(サッチャリズム)でインフレ抑制、規制緩和、労働組合の弱体化等には成功するも、失業者が激増したことから不人気となり、任期後期は新自由主義政策を断念してリフレ政策に転じる。これで支持が持ち直し3期にわたり首相を務めたが、人頭税導入が反発を受けた事から1990年、首相を退任(サッチャリズムを受け継いだ「第三の道」を掲げる労働党ブレアの時代に「英国病」は解消された)。
退任後は貴族議員となっていたが2000年頃から認知症を発症しはじめ、2008年に娘である作家のキャロルが母の認知症を公表。夫に先立たれ、さらに症状が悪化し夫が既にこの世にいないことも忘れてしまい家族をいたく悲しませたという。
2013年4月8日に脳卒中のため亡くなった。享年87歳。イギリスでは国葬と彼女の死を祝賀するデモが同時に行われ、サッチャリズムがイギリス社会にもたらした亀裂を印象づけた。
鉄の女(Iron lady)
サッチャーの異名として知られる「鉄の女」であるが、これは本来ソ連国防省の機関紙が彼女を非難する目的で使ったもの。皮肉にも彼女自身が気に入ったため、広く使われることとなった。
後に彼女の功績を称えブロンズ像が設置された際にも「鉄もいいけどブロンズも悪くないわね」とジョークを飛ばしたほど。
仕事には厳しく、短気で激高しやすかったと言われ、世間では夫を尻にしいているようなイメージが喧伝されていた(サッチャー自らそのように演出していた面もある)が、家庭では良妻賢母型であり、政治にあたっても夫の助言をよくきいていたという。
また、上記のブロンズ像発言のほかにも首相として参加した最後の党大会のスピーチでは、モンティ・パイソンの「死んだオウム」を使って英自由民主党を批判して会場を大爆笑させるなど(英自由民主党のシンボルマークはオウム)、イギリス人の政治家らしくジョークに富んだエピソードも多い。
映画
2011年に『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(原題はIron Lady)が公開され、メリル・ストリープが彼女の役を演じた。